沖縄を代表する写真家・石川真生さん(70)。半世紀近くにわたって沖縄に生きる人間を撮影し続けてきました。“撮る人”と“撮られる人”との距離が限りなく近い濃密な写真から、一体何が見えてくるのでしょうか。石川真生さんと本音をぶつけあった3年間の取材の一部です。
“全身写真家” 石川真生 沖縄の人々を撮り続け半世紀

写真家・石川真生さん
「あんたたちヤマトゥ(本土)のマスコミは、私信用していないから。笑ってるね、このおっさん」
「自分は正しくて、左だ、革新だ。あいつはさ、悪いことをしている、自民党だからダメだとかさ。そんな単純なこと言うなよな、という感じだよな」(2021年8月)
「こんなインタビューするって話聞いてねえよ。悪だくみの金平と呼ぼう。悪党め」(2021年5月)
「アメリカの軍に対して、もっとちゃんと(対策を)やって欲しいと、もっときちんとしてくださいと、何で沖縄のサイドから強く申し入れることができなかったのかよ、って」(2021年8月)

石川真生。1953年、沖縄本島北部の大宜味村で生まれた。写真を撮るようになったきっかけは、高校時代に友達に誘われて写真部に入ったことだという。その波乱万丈の人生を今回の特集で全て紹介するのは無理だ。沖縄に生きる人々を撮り続けて、半世紀近く。

とにかく濃い写真。撮る人と撮られる人との境目がいつの間にか突破される。

ある人は「写真から、においがする」と言い、またある写真家は「ミイラ取りがミイラになる直前の写真」と言った。
金平キャスター 石川真生さんを3年取材
浜田靖一防衛大臣
「諸君は国の宝であります。がんばってください!」(2023年4月2日 石垣島駐屯地開所式)

金平茂紀キャスター
「2023年6月、僕は石川真生さんの撮影に同行した。那覇から石垣島に向かう。真生さんと会うたびに、まずは軽く罵倒される。まるでそれが挨拶みたいな感じだ。久しぶりに会った真生さんは、かなり痩せていた。足もかなり弱っていた」
今回の取材には、アシスタントとして同じ沖縄をベースとする写真家・伊波リンダさんが同行し、真生さんを手助けしていた。
「台湾有事」への備えだとして、政府・自衛隊は2023年3月、石垣島に巨額の費用を注ぎ込んで、石垣駐屯地を完成させた。

この日、真生さんが訪ねたのは、駐屯地と文字通り目と鼻の先にあるパイナップル農家の当銘さん一家。以前から撮影している当銘みつ子さんに、撮った写真をみてもらうためだ。

当銘さん一家は、問答無用で進められた、ミサイル基地を含む自衛隊駐屯地の開設に、強く反対してきた。
だが、周りの農家の多くは、防衛省に土地を売った。

当銘みつ子さんの長男 当銘耕一さん
「こっちが(自衛隊を)呼んだわけじゃないし、勝手に来たし、だからと言って、こっちが畑をかついで逃げていけないというのが歯がゆいですね。何て言うか、こっちに来るって決められた方法を、こっちの判断でできない、住民投票なり何なりの、結論もちゃんと出さないまま決まったということが、よくないことであって」

金平キャスター
「真生さんときたら、当銘さん一家にすっかり入り込んでしまっていた。僕は正直、嫉妬みたいな感情を抱いてしまった」














