「陸軍も海軍も若者を殺した」 思い出したくない過去

(樋口一さん)
「私にも入隊の命令が下った。飛んでいかないといけない状態になった」

20歳の時、ついに樋口さんにも召集令状が。ところが特攻隊に入隊する直前、終戦を迎えることになったのです。

(樋口一さん)
「玉音放送を聞いてやれやれと万歳した」

しかし樋口さんは、自分の体験を戦後ほとんど語らず、語り部など後世に伝える活動も行っていませんでした。

(樋口一さん)
「思い出したくない。誇らしく喋りたくない。一番仲が良かったアイツが特攻隊で逝ってしまった。本当に泣いて涙を流して握手した『気をつけて行ってこいよ』と送り出した覚えがある。あの時分は陸軍も海軍も若者を殺してしまった」

戦争に関わったことへの複雑な思い。そして親友が特攻し命を落としたことが、あの戦争について積極的に語れないでいた理由です。

しかし、去年、ロシアによるウクライナ侵略が勃発。第二次世界大戦以降、最大規模となっているこの戦争を目の当たりにして樋口さんは思いを新たにします。

(樋口一さん)
「絶対に(戦争に)なってはいけない。若者に伝えたい」

まず伝える事にした相手が、大阪に住む大学生の孫、史典(ふみのり)さん、22歳。祖父である樋口さんは、戦争体験や平和のありかたについて自分なりに話をします。

(樋口一さん)
「ロシアでは今も戦争をやっているけども、日本ほど憲法に守られて平和な国はない(Q戦時中はどういう生活だった?)戦時中は本当に物がなかった。(Qどんなことを思っていた?)『お国のために』という気持ちでいたから弱音は吐かなかった」

そして今回、史典さんの発案である場所へ。