なぜ学ぶのか?なぜ学ぶことができなかったのか?

札幌の繁華街、すすきのにネオンが灯る頃、その学舎(まなびや)に人々が通学して来ます。札幌市立星友館中学校は、すすきのに隣接する一角に、去年4月開校した北海道で唯一の公立夜間中学校です。高齢者、不登校経験者、外国出身者…通うべき時期に中学校へ行くことができなかった人たちが在籍しています。10代から80代までの多様な老若男女が、中には過酷な体験をした人が、夜の帳(とばり)の降りた校舎に机を並べています。なぜ学ぶのでしょうか?なぜ学ぶことができなかったのでしょうか?何を求めて集うのでしょうか?星空の下、学び直しをする人々のそれぞれの事情と姿をお伝えします。
エピソード(2)は、モロッコと清龍~異国で生まれ育ったある日本人の場合・その2「奇跡の来日」です。
糸を手繰って…

大塚清龍さん(20歳)が、細い細い糸を手繰るようにして来日を果たしたのは、わずか8か月前の今年1月のことです。
アフリカのモロッコでホームレスの状態で路上生活をしていた大塚さんは、日本へ行くためにあらゆる手を尽くし始めます。大塚さんは母が日本人、父がモロッコ人で、日本とモロッコの国籍をいずれも持っていました。そこでまず在モロッコ日本大使館やモロッコにある日本の機関、関連団体、企業等へ相談に行きますが、大きな壁は渡航費用の捻出でした。十数万円かかる渡航費は当時の大塚さんにとって天文学的な金額で、身元の保証もない大塚さんにその費用を捻出してくれる所はありませんでした。

しかし大塚さんはあきらめませんでした。「モロッコ国内でダメなら日本で探そう(本人談)」と考え、インターネットで難民や福祉を支援する日本の公的機関や団体を手当たり次第に探し、全国各地に支援を求めるメールを発信しました。この時、役立ったのが、日本語を読み書きできたことと、それまでにインターネットで得た日本の知識でした。大塚さんは家を追われるまでは、日本人の母の下、日本語で育ちました。またインターネットで、日本のアニメやテレビの教育番組を毎日見ながら日本語を覚え、文化や歴史に触れて来ました。さらにはバラエティ番組で流行や方言も覚え、政経番組で日本の国情も常にアップデートしていました。その能力はつい先日、初来日した人物とは全く感じさせない高さで、こうした言葉の力と知識が日本人としての自覚を裏付け、モロッコからの脱出を実現させるエネルギーとなったように見えます。