長崎の8月の2大行事「精霊流し」と「平和祈念式典」。
その2つを昭和に撮影された過去の写真でみると、今とは随分と様子が違うようです。

熱いぞ!昭和の精霊流し

長崎のお盆と言えば精霊流し。故人を“西方浄土”に送るお盆の恒例行事ですが、しめやかなイメージと違って、実際はかなり激しさも伴うことはご存知のとおりです。
それでも、今と昔はかなり違っていました。

撮影されたのは1974(昭和49)年、1978(昭和53)年、1979(昭和54)年。
今から半世紀近く前の精霊流しの画像です。

写っているのは”もやい船”でしょうか。花火の光と煙、今と変わりません。

撮影された場所は“県庁坂通り”と“中央橋付近”です。
今でも精霊流しでは、人出がかなり多い場所ですが…

当時はすごい人出です!まるで精霊船が“人の海”を進んでるようです。
まさに、人をかき分けて進んでいるようです。
人垣が2重・3重ではなく、6重・7重です。

続いての画像は、坂を上り切ったところ“旧県庁正門前”。
船の通り道は、まるでステージのようになっています。

旧県庁から旧長崎市役所へつながる道も、人で埋まっています。
ことしの精霊流しもかなり賑わいましたが、昭和はちょっと桁が違います。

突進する精霊船。いったいどれだけのスピードが出ているのでしょうか?
送られる故人もびっくりではないでしょうか。

そして引き回し。もはや“くんち”です。本来やってはいけません。
最近は見られなくなりましたが、昔は多かったようです。

それと、あることに気づきました。

時計が写っています。この時すでに20時59分。

午後9時になろうとしていますが、まだこんなに人がいます。
今年も遅くまで賑わいましたが、午後8時半ごろには落ち着き始めます。
しかし、昭和の時代は夜9時になっても、まだこれから!という雰囲気。
終わる気配がありません。

最後に、県庁坂を上っていく精霊船と、稲佐山が写っている写真です。
にぎやかだけど、どこか寂しさもあり。
一方で、爆竹のにおいと夏の思い出が凝縮されて記憶に刻まれる行事。
長崎人にとっての精霊流しは、こんなイメージですね。
それは昭和、平成、令和になっても変わらないと思います。

昭和37年の平和祈念式典 鈴木現市長の祖父・田川務元市長の姿が

続いて、61年前の1962(昭和37)年の”平和祈念式典”の写真です。

今年の平和祈念式典は、台風接近で平和公園から屋内に場所を変更して行われました。
前回の屋内開催が60年前ということでしたから、その1年前の式典の写真です。
どんな風におこなわれていたのでしょうか?

白黒の写真で全体を見たものです。平和祈念像が見えます。
参列者用のテントは、今より少し小ぶりです。
これをAIでカラー化してみましょう。

細かいところは違うようですが、基本的は今と変わらない式典の風景です。

あいさつをしているのは、今の鈴木市長の母方の祖父に当たる田川 務長崎市長です。なんとなく鈴木市長と似ています。

それと、もう一つ注目してもらいたいのは、後ろに映っているテントの支柱。“木”なんです。

平和祈念像の前の祭壇も、今とは飾り方がかなり違います。

今回は平和祈念式典、そして精霊流し。
長崎の”夏の風景”を、昭和の写真で紹介しました。
昭和の懐かしい動画は“ユウガク”でお楽しみください。