78年前のアジア・太平洋戦争では当時日本の統治下にあった台湾からも多くの青年たちが“日本人”として戦いました。この中にはシベリア抑留まで経験した台湾人がいました。
日本と台湾の狭間で生きた96歳の元日本兵の人生はまさに九死に一生の連続でした。
台湾出身の“元日本兵”

都心から車で2時間あまりの東京都・奥多摩町。そこで私は横浜在住の台湾人・呉正男さんと落ち合いました。
目的は先の大戦で亡くなった台湾出身日本兵の慰霊です。呉さんは足が思うように動かなくなってからも何度も奥多摩を訪れています。
参加者「私たちだけで行こうとしたら『なんで僕を誘わないんだ!』って」
普段あまり人が訪れない山あいに目的地はありました。
呉正男さん「なかなか文章いいでしょ?」

「台湾出身戦没者」の慰霊碑。70年代に日本の民間人の有志が建てたものです。
碑文には「あなた方がかつて我が国の戦争によって尊いお命を失われた事を深く心に刻み永久に語り伝えます。」とあります。
呉さん
「“台湾人”と書いてないんだよ、“台湾出身”なんだよ。台湾人は元日本人なんだよ。非常に良い配慮だと思いますね、“台湾出身”という言葉はね。台湾人でも日本人でもない、でも本当は日本人として戦ってるわけで」
高台からのぞむ湖が台湾の景勝地・日月潭に似ていることからこの地に立てられた慰霊碑ですが、場所の不便さもあり、長年放置されていました。
有志によって慰霊祭が再開されたのは2010年のことです。
呉さん
「本当にこれを見るたびに私は嬉しく思うんです。日本においてはたったここだけしかないんですね。本州においてはこの1つしかない。碑がないってことは僕はね、昔もし死んでいたらね、誰も拝んでくれなかったんだなあと」
呉さんの取材を始めたのは3年前、シベリア抑留された台湾出身の日本兵が存命だと人づてに聞いてからでした。
多くの台湾出身者が戦争にかり出されたことは知っていましたが、抑留者の中にもいた事を知ったのはこの時が初めてでした。