並大抵ではない体力と覚悟が必要な挑戦
昨年の日本選手権も3種目に挑戦し、800 m3位、1500m優勝、5000m3位の成績を残した田中。1500m優勝で東京五輪代表を決めたが、前回は5000mの東京五輪代表切符を、前年12月の日本選手権に優勝してすでに持っていた。20年シーズンの競技会がコロナ禍の影響を受け、特別なカレンダーになっていたからだ。しかし今季は通常に戻っているため、田中の出場する3種目はすべて、今回の日本選手権が最重要選考会になっている。開幕前日(6月8日)の会見で田中は、3種目を走ることについて以下のように説明した。

「1500mが一番世界陸上に近いところにいるので、3位以内を確実に目指していきます。(自身の体調や他種目との兼ね合いを見て)どんなレースをするか、まだ固まっていませんが、色々な取り組みをしてきたのでそれを生かせるレースをしたい。そこが上手く行けば800mと5000mについても考えていきます。800mと5000mをどういう兼ね合いで出場していくか、そこもまだ固まってはいません。日本選手権の4日間全体が(1つの)レースになっているような取り組み方をして、そのなかで自分が“昨年を上回れた”と思えるようなトータルの成績を狙っていきたい」
自身の置かれている状況とやり遂げたいことを、慎重に言葉を選んで話した。
昨年との違いでいえば、最終日の800m決勝と5000m決勝のインターバル時間もそうだ。昨年は約30分だったが今年は70分になった。身体的な負担は小さくなるはずだが、そう言いきれない部分があるという。
「70分に伸びることで逆に乳酸が出て、体が重く感じられてしまうかもしれません。30分なら次のレースのことだけ考えて(勢いで)走れますが、70分あると変な雑念が入ることも考えられます。やってみないとわからないし、そもそも800 mに出場するかどうかも、1500mを走ってから決めます」
メディアは3種目挑戦と安易に注目するが(注目せざるを得ないが)、当事者である選手にとっては並大抵ではない体力と、それ以上の覚悟が必要な挑戦なのだろう。
直前の御嶽合宿で前向きなメンタルに

今年の田中は「スッキリしたレースができていない」と自身に対して不満を示す。昨年は東京五輪で8位に入賞したが、今年は5月のダイヤモンドリーグ・ユージーン大会で最下位の15位だった。東京五輪の準決勝、決勝で3分59秒台を出したのに対し、今年のシーズンベストは4分06秒35だ。
だが昨年の同時期と比べれば、必ずしも悪いとは言い切れない。昨年の5月は4分9秒台だったが、今年は4分6秒台である。その点を父親でもある田中健智コーチから指摘されると、去年の記録は自分で引っ張って出したのに対し、今年の記録は引っ張ってもらって出した記録だと反論した。
良い材料を見つけて自分を納得させる選手も多いが、田中は自分に厳し過ぎるところがある。おそらく田中自身も、過去と比較してしまうと自身を縛ることにもなるとわかっている。だから会見でも次のように話したのだろう。
「自分に勝ったと思えるレースができれば、見ている人にも良い走りだったと思ってもらえるのでは。日本選手権も昨年と比べるのはどうかと思いますが、4日間全体を(1つの)レースとしてとらえ、自分の中で昨年を上回るトータルの成績を残したい」
今季のトラックシーズンは、前述のようにスッキリした走りができなかった。しかし5月の米国遠征初戦のUSATF DISTANCE CLASSICでは4分06秒35のシーズンベストで5位。優勝者とは2秒17の差で、田中コーチによればメンタル面も良い方向に向かっていた。だが2戦目のユージーンで最下位に終わったことで、ネガティブな方に戻ってしまった。
前向きな気持ちを取り戻したのは帰国後に急きょ、6月2日から4泊で行った御嶽での個人合宿だった。
「幼少期から(市民ランナーで北海道マラソン優勝経験のある母親と)御嶽に行っていました。(日本と環境を変えて)アメリカに行っても精神的に明るくなれなかったので、御嶽に行ってもどうかな、と思っていました。しかしいざ行ってみると、日本選手権直前で他のチームの選手たちはいなかった。私の幼少期はまだ御嶽が高地トレーニングのエリアとして知られていなかったので、当時の雰囲気と似たものを感じられました。それでフレッシュさを取り戻せたのかもしれません。練習自体も少しずつ積めて、誰もいないし何もない分、陸上に向き合う時間がとれました。体幹トレーニングをしっかりやったり、気持ちの整理をする時間が取れたことがプラスになったのかな」
3種目を追うことのリスクや体力面の難しさはあるが、田中は3種目での世界陸上代表入りに挑戦する覚悟を決めた。