ミャンマーの軍事クーデターから2年余り。
日本では余り報じられなくなりましたが、戦闘は激しさを増し、多くの市民が命を落としています。
私たちはこの間、最前線で戦うミャンマーの若者たちの取材を続けてきました。
戦闘の長期化で、彼らの心に変化が起きていました。
忘れられた戦場 ミャンマーは今

日本で本当に長いことミャンマーの民主化を訴え続けている人物がいます。
都内の飲食店で働く在日ミャンマー人のウィン・チョウさん。やきとんがウリの大衆酒場で働き始めて、もう5年になります。
日下部正樹キャスター
「やきとり、やきとんはほとんどウィン・チョウさんが?」
ウィン・チョウさん
「そうです、私しかできない。串をできる人がいないから休めない」

1980年代、学生だったウィン・チョウさんはミャンマーの民主化運動に参加し、拘束されました。軍の弾圧から逃れるため、34年前に来日。民主化運動の仲間だったマティダさんと日本で再会し、結婚しました。
ミャンマーの現状に対し、強い怒りを隠しません。

ウィン・チョウさん
「若者たちが前線に行っている。なぜ行かないといけないのか理解できない。なぜ避難民が出るのか、なんで自分の家で寝られないのか。考えれば考えるほど今のクーデターは許せない」
ウィン・チョウさん、マティダさん夫妻は、SNSで最前線の若者たちと連絡をとりあい、物心両面で支え続けています。若者たちは2人を「日本のお父さん、お母さん」と呼びます。

クーデター以降、私たちはウィン・チョウさんたちの助けを借りて、最前線で戦う3人の若者たちと連絡を取ってきました。