ヨーロッパのサッカーリーグで活躍している若手ストライカー二田理央選手。18歳で海外にわたると、いきなりゴールを量産。将来の日本代表のフォワードとして期待されるようになりました。異例のキャリアを経て海外で挑戦する若き逸材に思いを聞きました。
大分県佐伯市出身で現在はオーストリア2部リーグでプレーする二田理央選手(20歳)。年代別の日本代表にも選ばれたパリ五輪世代の若手ストライカーです。

――大分に戻ってきてどうですか?
「やっぱりもう地元って感じの安心感と、大好きな佐伯市なんでやっぱり久しぶりに帰ってきてうれしいです。家族といる時間だったりとか、お母さんが作ったご飯を食べたりだとか、地元の友達に会ったりとかするとうれしいし、安心しますね」
ヨーロッパでのシーズンが終わり、故郷に帰ってきた二田選手。取材したこの日は小中学校時代に所属していたクラブチーム「FC佐伯 S-play・MINAMI」が使用している練習場(佐伯市総合運動公園)で体を動かしました。
(FC佐伯 S-play・MINAMI・江藤雅章監督)「人よりも早く来て道具を並べたり、練習を一番に始めたり、本当にリーダーシップをとってやっていました。高校3年生の時にJ1デビューしてそのまま海外に行くことになってビックリしました」
(二田理央)「このグラウンドも思い出深い場所で、もう中学校の頃はずっとここで練習していたので。小・中学校の頃は自分で自分のプレーを見ることはしていなかったのですが、本当に一番楽しくやっていたっていう思い出があります」
二田選手は中学を卒業後、サガン鳥栖の下部組織に入団しました。
「中学3年になるときの新人戦で九州大会に行ったときに、サガン鳥栖の方が見てくれてスカウトされ、いろいろ悩んだ結果、鳥栖に行こうと決めました」
「昔からプロサッカー選手になりたいっていうふうには思っていたんですけど、本当になれるのかなって…。でも絶対に諦めずに毎日努力してたら、必ず誰か見てくれてるし、もしかなわなかったとしても、やっぱりそういうのって生きていく上での人間性など本当に大事なので、いろんな意味で努力して諦めないっていうのは大事かなと思います」

――海外に挑戦したいと思ったのはいつ頃からですか?
「鳥栖のユースにいた頃、二種登録してもらってトップチームで練習を1か月ぐらいさせてもらいました。自分がトップチームに上がれるかどうかってぐらいの実力で、海外なんて考えてもなかったんですよね。それでトップチームで練習に参加していたのですが、急に海外行きの話をいただいて、正直自分でもびっくりしたんですけど、でもなんかチャンスだなと思いました。チャンスだと思ったことは掴みにに行きたいんで、もうそこは何も考えずに『行きます』と言って、もうすぐに決めました」
18歳になった二田選手は2021年6月にJ1の舞台でデビューすると、翌月には若い日本人ストライカーを探していたオーストリアのクラブ「FCヴァッカー・インスブルック」に期限付き移籍。1年目から3部リーグで16試合17ゴールと結果を残す活躍を見せました。
――オーストリアでのプレーはどうですか?
「環境も違うし、サッカーも日本とは違うので、そこに慣れるのは時間がかかったんですけど。まだ慣れてない部分もあるけど、現地に日本人の方もいて本当に助かってる部分もあって、徐々に慣れてきて自分のプレーも出せるようになってきました」