河村綾奈 キャスター
今回、どういう経緯で依頼があって、どんなお話をされたんですか。

小倉桂子 さん
どういう経緯というよりも、突然、外務省の方からお電話があって、長い間、全然思ってもみなかったんですね。要するに「海外のトップの方に言いたい。これは言いたい」っていう人がたくさんいらっしゃるので、わたしじゃないというふうに思っていまして、突然、本当に何時間前に話をしろというリクエストがありまして、びっくりしましたけれども、悩みました。本当に核を持っている人たち、そういう大国の元首が来られるっていうのは、何を言うかって、どのぐらい時間があるのかもわからない。そういうときにですね、みなさんの代表になるのにはふさわしくないというふうに思いました。

青山高治 キャスター
話せる範囲でけっこうなんですが、話しているときの各国首脳のみなさんの表情であったり、何か小倉さん中で印象に残ったことってありますか?

小倉桂子 さん
もうお話したいことがたくさんあるんですけど、それは言わない方がいいというような。おわかりでしょう、そういうの、ありましたけれども。わたしがお話したこと、感じたことはお話できますので。

まずテーマとしては、わたしが心がけたのは、通常兵器と核兵器がいかに違うかということです。そこに焦点を当てました。わたし、外国に行きましても、若い人たちが、何か大きなでっかい爆弾、威力のある爆弾…、本当に放射能のことをご存知ない、知らない人たくさんいますよね。アメリカの若い人たち。何が必要かというと、今いる若い人たちを、その恐怖っていうのは今では終わらない。ずっと先までも恐怖は続くんですよというんで、どうやって核、見えないもの、においのないもの、彼らにわかってもらえるかということで自分の被爆体験を話しました。

そして、一番いいのは、「これをしてください。謝ってください」、それを言うのではなくて、わたしが見たもの、聞いたこと、それを追体験していただいて、広島を訪れてくださった方たちに、そこに自分がいたように感じていただきたいということ。わたしはどのようだったかっていうのを時系列で、ピカッと光った。どんな感じで光り、そして爆風があり、地面にたたきつけられ、そして目が覚めて見たものっていうふうな感じで、全て、みなさんの顔を見ながら、わたしがすごく怖かったというのは、本当に怖かったっていう顔を見ながら、おわかりいただいてるっていうように感じましてね。

それから、わたしと同じような年代、かなり近い 佐々木禎子 さんのお話しましてね。最後に、「これが彼女が折った鶴ですよ」。ちっちゃな鶴をお見せしました。「見てください」と針で折ったんですよ。それ、すごくびっくりされましたけれども、そういうお話で、10年後に彼女が亡くなったと。お母さまにお会いし、おばあさまにお会いし、「うちの娘は本当に千羽、鶴を折ったんですけれども夢はかなわず、亡くなりました」っていうお話をそのままお伝えしました。それは、とてもみなさんの心を打ったというふうに思いました。

青山高治 キャスター
小倉さんの話を直接聞いた各国首脳のこれからに期待したいですね。

被爆者・通訳 小倉桂子 さん
はい。そして、ここは広島。広島の持つパワーを彼らは十二分に発揮して、新しい一歩。もう分岐点だと思うんですね、今が。戦争もあるし、それを踏み出していただきたいという願いを精一杯込めました。

青山高治 キャスター
きょうは本当に大役でお疲れのところ、どうもありがとうございました。