被爆者・通訳 小倉桂子 さん
「あの日はとても暑く、多くの学生が服を脱いでいました。そのため体のほとんどが焼けただれたのです」

通訳者グループの代表を務める被爆者の 小倉桂子 さん(85)は、海外から訪れる政治家や平和運動からの依頼を受けて、被爆者たちの証言を通訳するとともに、自らの被爆体験も英語で発信しています。

小倉桂子 さん(1983年)
「胎内被爆者のお姉さんの手記をそのまま英語に訳して読みました」
小倉さんは、8歳のとき、爆心地から2.4キロの自宅そばで被爆しました。

通訳を始めたのは、小倉さんが42歳のとき。夫であり、原爆資料館の館長だった 小倉馨 さんが亡くなったことがきっかけでした。亡き夫に代わって始めた活動は広がり続け、今も被爆者として海外に出向いて証言をするほか、広島を訪れる世界中の人たちに英語で平和への思いを伝えています。

青山高治 キャスター
小倉さんは、19日、まさにあの原爆資料館でG7の各国首脳の前でお話をされるわけなんですが。本当に大役、お疲れさまでした。広島の人間として、「ありがとうございました」と言いたいです。どんなお気持ちですか、今。
被爆者・通訳 小倉桂子 さん
本当に幸せですね。みなさん(G7首脳)にお目にかかったときに、これって夢じゃないかと思う。世界のそういう一番トップの方たちが目の前に並んでらっしゃる。そして、わたしはどういうふうにして彼らにメッセージを伝えるか、悩みました。
