8mも跳べなくなるリスクもあった
日大時代から橋岡を指導する森長正樹コーチは、今回の助走変更について、次のように話している。
「スプリント(純粋に短距離を走る能力)の上限を高めることもですが、最後の5歩の駆け込みを速くすることが目的です。よりスプリントに近い走りで踏切板に向けて駆け込んでいく。それが効率の良いシザース(走る動作のように脚を回す空中姿勢)につながれば記録が伸びます」
しかし、速い動きの中で従来と同じか、それに近い踏み切り動作にもっていくのは、簡単にできることではない。森長コーチは「橋岡なら(近い将来)8m50、60も跳べる」と期待しているが、変更してしばらくは「8mも跳べなくなる可能性もある」と考えていた。今回の変更はそのくらいリスクも伴った。
橋岡もそのリスクを覚悟で、タンブルウィードTCのトレーニングに取り組んだ。
橋岡は19年世界陸上ドーハで8位、21年東京五輪で6位に入賞。昨年の世界陸上オレゴンは10位と入賞は逃したが、予選で力を抑えめにしながらもトップ記録で通過した。自己記録は21年の日本選手権でマークした8m36で、日本記録(8m40)更新は遠くないと思われた。
しかし橋岡の目標は、もっと上にあった。
「このまま日本にいても目標に届ききらない。新しい刺激、新しい学びが絶対に必要でした。縁あってタンブルウィードTCのお世話になることができましたが、海外でのトレーニングは“いつか来るもの”という認識でしたね。ダメだったらダメで、その先に得るものはあるという覚悟の仕方でした」
その思いが19年世界陸上ドーハ以降、徐々に大きくなっていた。具体的に海外の指導者との話も進んだが、コロナ禍もあってまとまらなかったという。それが今回、サニブラウンと同じマネジメント事務所というつながりもあり、長期間のトレーニングを実行できた。
これは今後取材していきたいと考えている部分だが、踏み切りの技術がしっかりしている橋岡は、助走を大きく変えても記録のマイナスは最小限にとどめられる。明確な根拠として言葉にしにくい部分かもしれないが、その手応えがあったのではないだろうか。
今年は「8月の世界陸上ブダペストでメダル獲得」という目標は変わらない。だが一番は、「来年につながるシーズンにすること」だ。
「失敗を怖れず自分が取り組むべきことに取り組みます。もちろん、結果もしっかり残さないといけないので、妥協しないで狙えるところは狙って行きたい。結果的に良いシーズンだったな、という終わり方ができればと思っています」
新しい助走と跳躍を完成させるためのシーズンと位置付けることで、記録を狙いすぎず、力まない良い跳躍ができることもありそうだ。GGPでも、橋岡の新たな取り組みを見届けたい。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)