江戸時代、日本の外交拠点でありながら残された資料が少なく、多くが謎に包まれたままの薩摩藩(鹿児島藩)。

その薩摩藩に肥後藩(熊本藩)から密かに送られた『密偵=スパイ』の存在が明らかになりました。

薩摩藩と肥後藩、そして江戸幕府との関係など、隠された歴史を紐解くきっかけに一役買いそうです。

5月18日、熊本大学が発表した新たな歴史文書の発見。それが…

熊本大学永青文庫研究センター 稲葉継陽 センター長「1651(慶安4)年(※1)に薩摩に派遣された『密偵の報告書』18か条の原本が発見されました」

密偵。すなわち江戸時代の「スパイ」のこと。肥後藩(熊本)から薩摩藩(鹿児島)にスパイが送り込まれていたことが明らかになりました。

当時、徳川幕府の方針で鎖国体制をとっていた日本で、貴重な外交窓口の役割を担っていたのが薩摩です。

しかし、幕府は薩摩と外国が関係を深めることでキリシタンが増えることや反幕府に転じることを懸念。そのため、薩摩の情勢を常に把握しておく必要がありました。

そこで幕府の立場に近い肥後藩が「薩摩の抑え」として、自主的にスパイを送り込み、薩摩の情勢をいち早く入手していたのです。

稲葉 センター長「肥後藩細川家は薩摩からの情報収集をしっかりやり、幕府と共有することを幕藩体制のもとでのアイデンティティにしている」

その密偵の名は…「村田 門左衛門(むらた もんざえもん)」これまでの歴史資料に一度も出てきたことのない、まさに「謎の人物」。

稲葉 センター長「村田門左衛門というのは今回が初めて(見た名前)です。(それ以上の)情報がないですね」

村田門左衛門…一体、何者だったのでしょう?