いまさら聞けない “サミットって何?” 、“どんなことが話し合われるの?” といった基本情報や論点について、わかりやすく解説します。RCCラジオの特別番組に、サミットに詳しい 広島市立大学 国際学部の 武田悠 准教授をお迎えしました。

本名正憲 アナウンサー
開催地に関しましては、広島が日本開催の7回目。まず、東京・東京・東京と続くんですね、3回。

広島市立大学 国際学部 武田悠 准教授
最初はそうなんです。首都あるいは大都市、主要都市でやるのがごく当然という感じでした。

本名アナ
国内でいうと、そのあと、九州沖縄サミット・北海道洞爺湖サミット・伊勢志摩サミット。都市型のサミットっていうのは、1993年の東京以来ということになります。

武田悠 准教授
そういうことになります。ほかの国を見ても、2000年代に入ってからずっとリゾート地ですね。ブリュッセルは、ちょっと例外ですね、急きょ、行ったということもあります。

本名アナ
今回は、広島でということなんですけれども、特に原爆を落とした側であるとか、核兵器保有国も含めて首脳たちが一堂に会する、広島に来るというのは、ぼくは難しいだろうと思っていたんです。そこに風穴を開けたっていうのは、(アメリカ大統領)オバマさんが来られたってことは、大きいんでしょうか?

武田悠 准教授
これは、1つあると思います。原爆をまさに落とした当のアメリカの首脳がやってきた。さらに、さかのぼると、その前にG7外務大臣会合をここでやりました。そういった積み重ねがあって、初めてできたことだとは思います。

本名アナ
その外相会合のときの外務大臣が岸田さん。

武田悠 准教授
そうなんですよ。これ、非常になんていうか、巡り合わせですよね。

本名アナ
考えてみると、岸田さんが首相になっていなかったら、別の総理だったら広島ではなかった?

武田悠 准教授
これは、もうありえなかったと思います。やっぱりリスクが高い。広島まで呼んで、もし、核で何も具体的な声明を出せなかったら…みたいなことは十分ありえますから。そのリスクを取るっていうのは、官僚にはできないですよね、政治家にしかできないと思います。

本名アナ
岸田さんが総理になった。その前に外務大臣として、その外相会議も開いていた。オバマさんも来たと。あとは、たとえばロシアがウクライナを侵攻したという不安ですよね。

武田悠 准教授
そこはタイミングが偶然、合ったあったということだと思いますけど、核に関しては、その前からだんだんと問題にはなっていました。専門家の間では、「核の復権」というふうな言い方をするんです。復活するというふうに。冷戦、アメリカとソ連の対立が終わって、ソ連が崩壊して、ロシアになったと。1990年代はすごい勢いで核兵器が減ったわけですね。核兵器も今、役割をどんどん限定していっていいんだということになった。ところが、2000年代になると、ちょっと様相が変わってきて、それが止まって、2010年代になると、今度は逆に増やし始める国が出てくる。中国が筆頭ですけど、その傾向をどうやれば抑えられるのかっていうのは、ウクライナ戦争の前から問題になっていたので、そういう意味では核兵器の問題を取り上げないと、G7サミットでも取り上げないといけないという問題意識はありました。

本名アナ
そういう下地があったということなんですね。それもあって、広島でということに関していうと、どのぐらい、広島で何を見てくれるかっていうところは、相変わらず、ぼくは気になるところではあります。