国のハンセン病療養所がある、岡山県瀬戸内市の長島と本土との海峡に架かる「邑久長島大橋」が、きょう(5月9日)開通から35年を迎えました。

社会から隔てられていた島と本土とをつないだこの橋は、“人間回復の橋”とも呼ばれ、「入所者が社会とのつながりを取り戻すシンボル」でもあります。

(長島愛生園入所者自治会 中尾伸治 会長)
「35年経って“人間回復の橋”だということで、架橋運動の長であった人たちは皆、鬼籍に入ってしまってこの橋を渡れなかった。自分の中では、あまり長い年月ではないような気がする。『一瞬』のような気持ち」
橋の開通から35年の歳月を振り返る、中尾伸治さんです。長島愛生園で暮らす入所者のひとりです。

瀬戸内海の離島・長島と本土を結ぶ「邑久長島大橋」が開通し、きょうで35年が経ちました。

医学的に根拠のない、国の誤った政策で強制的に隔離されたハンセン病の元患者たち。長島と本土の間には、「瀬溝」と呼ばれる “隔ての海峡” があり、入所者は社会とのつながりを断たれました。家族との絆も断たれ、この島が終の棲家となりました。

「虫明湾の朝日に照らされ輝く橋げた」

強制隔離は人権蹂躙(じゅうりん)、と入所者は17年に渡り架橋運動を続けました。1988年5月9日に開通したのが、邑久長島大橋です。本土とつながること…一度は奪われた当たり前の自由を取り戻す象徴となったこの橋は、“人間回復の橋”と呼ばれています。

橋が架かったことで、夏祭りなどを通じた本土との交流も進みました。中尾さんは、改めて橋の存在の大きさを感じています。

(長島愛生園入所者自治会 中尾伸治 会長)
「この橋の事を知ってもらうには、それこそ昔の話をしないとありがたみは分からないと思う。新たな絆ができたり、つながったりということもあるので、本当にこの橋が架かって良かった。35年は35年の値打ちがあると思います」

開通から35年が経った邑久長島大橋。決して大きな橋ではありませんが、偏見・差別との闘いを物語るもの、そして強制隔離からの解放の象徴であり続けています。
長島愛生園の入所者の平均年齢は約88歳、最も多い時では2000人以上いた入所者は96人に減っているといいます。