夏の甲子園に2度出場、今年3月に智辯和歌山を卒業した武元一輝(19)が、米・ハワイ大学に進学することが決まった。すでにハワイで生活をしている。投手として最速151キロ、打者として高校通算20本塁打を記録、昨季のドラフト候補にも挙がった逸材。幼少期から憧れてきたメジャーリーガー目指し、異例の挑戦を決断した理由は。そして、現在の暮らしぶりも存分に語った。

進路に迷う武元に、声をかけた中谷監督

智辯和歌山高で、夏の甲子園を終えて進路に迷っていた武元に米大学への進学を勧めたのは、中谷仁監督(43)だった。武元にこのように声をかけたという。

「今でもプロに行けるだろう。でも、将来を考えたら、大学で自分を磨いて、大きな舞台で活躍する選手になって欲しい。アメリカに行く選択肢はどうか?」

中谷監督自身、プロ野球・阪神タイガースや楽天、巨人などを渡り歩き、引退後は少年野球の指導者などを務めた後に母校・智辯和歌山の監督就任、甲子園で優勝を果たすという、異例のルートをたどっている。

きっかけは去年8月。武元は、全米から集まった60人の有望な高校生たちによるオールスターゲーム “パーフェクトゲームズ” に61番目の選手として招待されていた。

その大舞台では、投手と野手の二刀流でアピール。アメリカの大学だけでなくメジャー5球団ほどから調査が入った。大谷翔平らの活躍で、日本人選手の注目度も高いらしい。

武元にとって、アメリカの大学への進学は全く選択肢に無かったが、聞くと、「人と同じことをするのがあまり好きではない」性分、迷いはなく、想像するだけでワクワクしたというのだ。

筆者が、初めて武元と会ったのは、彼が高校1年生の冬。高校野球の取材で智辯和歌山に訪れた際に、面識のない私に屈託のない笑顔で「きょうは何の取材ですか?」と声をかけてきたことがきっかけだった。今思うと、武元のあの明るく、常時ポジティブな性格は、アメリカ向きかもしれない。