3月に亡くなった音楽家・坂本龍一さん。日本だけでなく、世界中から追悼の声が上がっています。坂本さんが遺したものとは―。
音楽家・坂本龍一さん逝く
映画「戦場のメリークリスマス」。1983年公開のこの映画に、坂本さんは出演するとともに、映画音楽も担当。彼の名を広く世界に知らしめました。
坂本龍一さん(1992年)
「『(大島渚監督に)役者をやってくれ』という話を頂いて、僕から、『じゃあ音楽をやらせてください』と言ったんですね…」
いまも色褪せない数々の名曲を生んだ坂本さんが、3月28日亡くなりました。71歳でした。

東京藝術大学大学院を修了後、1978年、高橋幸宏さん、細野晴臣さんと共に、YMO・イエロー・マジック・オーケストラを結成。
当時、斬新だったシンセサイザーを使い、テクノポップというジャンルを確立。多くのヒット曲を生み出し、海外でも人気に火が付きます。
1988年には、映画「ラストエンペラー」で音楽を担当し、日本人初となるアカデミー賞作曲賞を受賞。
坂本龍一さん(1988年)
「きのう日記を調べたら、『若すぎる巨匠になる』と書いてあったので、(アカデミー賞を)すっかり取る気になっていたことがわかりました(笑)」
坂本龍一さんの転機
グラミー賞も受賞するなど、“世界のサカモト”となった彼は、やがて世界の紛争や格差などの問題に目を向け始めます。
プロテクターを装着して向かった先は…、地雷原です。
坂本さんはアフリカのモザンビークなど、紛争地帯を訪れ、対人地雷の撤去活動に参加。

そして2001年9月、そんな坂本さんを決定的に変えたのが…
アメリカ同時多発テロ。現場からわずか2キロほどにあるニューヨークの自宅にいた坂本さんは、一時期、音楽も聴けない、曲も作れないほどの強い衝撃を受け、改めて「音楽の役割」を問い直したといいます。
坂本龍一さん(2001年)
「“反戦だ”とか“報復がいけない”とか言葉で乗っけるような音楽でもなく、人々に、あるいは兵士に、あるいは戦争を遂行する当事者に、もう一度、ここに音楽という人類にとっての宝のようなものがあるということを思い出させるような音楽が必要だと」

そしてたどり着いた思いが…
坂本龍一さん(2001年)
「『非戦』です。“戦うにあらず”ですから、とにかく僕は、人が人を殺すのは良くないと。殺さないでくれと思ってるわけです」