「ダルと翔平には、3回投げてもらいたい」監督就任からイメージしていたWBCのエンディング

侍ジャパンがアメリカ入りをした次の日。栗山監督は、ダルビッシュ投手と準決勝以降の登板について、こんなやりとりがあったのだといいます。

栗山監督
「アメリカに行って(ダルビッシュ投手と)『もう、登板はなしにしよう』と2人で決めたんですよ、実は。メジャーの開幕に向けて『長いイニング投げなきゃいけないんで、その準備をしなきゃいけない』っていうので。
ダルと本音で話して、最後に僕は正面を見て『わかった、そうしてくれ。ただ、決勝戦どうしても投げたいと思ったら言ってくれ。いつでも待ってる』と伝えたんです。投げられると思ったら、チームのために“オレ行きますよ!”という感じだったら、それだけ教えてくださいと伝えて。
決勝戦の日(ダルビッシュ投手の登板は)僕の頭には入ってないんですけど、練習が始まった時に、ピッチングコーチが『ダルが行くって言ってます』って言ってくれたので、そこで8回っていうふうに(決めた)。
みんなの“勝つんだ”という魂。選手たちが“こうやって戦いましょう!”っていうのを作ってくれた。本当に冗談じゃなくて、“僕は何もやってない”というのはそういうことなんです。」

ーー決勝戦、大谷選手の登板を知らなかったというコーチも。その理由は?

栗山監督
「なんで僕が(全員に)言っていなかったかというと、“翔平とダルが投げる”って最初からわかっていて、もし投げられなかった時に、『あれ?今日負けちゃうの?』って違う空気になるじゃないですか。だから投げるまでは、余計な事は一切言わないんですよ。ピッチングコーチには『準備するよ』って言ってますけど、(他には)言ってないです。
翔平のことなんで、スライディングで怪我をすれば投げられないかもしれない。そういうことも起こるので、とにかく余計な情報は戦いの時は伝えない。」

ーー大谷選手を抑えで使うというのは、いつ本人に?

栗山監督
「一切それは言わずに。最初っからイメージは考えるんですね。監督を引き受けたときから最後どういうエンディングなんだろう?って。
(WBCの)あのスケジュールだと、基本的にピッチャー2回しか投げられないんですよ。でも、“ダルと翔平は3回投げてもらえないかな”っていうのが、僕の頭にあって。
“2回長く投げて、最後決勝戦1イニング”っていうイメージはあったんですけども、身体のこともあるし。でも(本人には)一切言わなかったですね。」

『最後、この2人で行けないかな』と思ったことは、間違っていなかった

準決勝の2日前、大谷選手が動きます。

栗山監督
「練習してたら、翔平からちょっと何か話がある雰囲気。準決勝の話とかをしていて(大谷選手が)『1回バット取りに行きます』って。『また帰ってきますから』って言ったときに、“何か話があるな”と思ったんですよ。
で、戻ってきたときに、雰囲気は分かったんで。これは僕の方からお願いすることなんで、『翔平、身体大丈夫かな?』みたいな。『じゃあ、行きますか』『じゃあ、頼むな』みたいな、そんな感じです。」

「ただ決勝戦の日も、どこで準備してDHで投げられるのか、準備(の仕方)がわからない。9回行きたくても、8回ウラで打席が回ったら9回行けるかどうかっていうのはありますよね。どこで行けるんだ?って話なんですけど、それはもう試合前に(本人を)呼びました。
『最後行くよ』って言ったら、『最後行きます』って言ったので。試合直前です、決まったのは。『どういう状況でも、僕準備します』って言ってくれたので。試合(決勝戦)の直前、練習が始まるとき、翔平が出ていくときですね。本人もう覚悟していましたね。」

「球団の意向は、アメリカの選手だけではなくて日本の選手にも聞くんですね。日本のチームに『こうやって使いますよ』と、お預かりするので。
ただ、ここはその球団の意向よりも、やっぱそこへ行かなきゃいけないでしょっていう本人たちの意思がものすごく強かったです。」

こうして、決勝戦のダルビッシュ投手、大谷選手の“夢の継投”が実現しました。

恵俊彰
「栗山流というのはやはり“物語”。その中には8回ダルビッシュ投手、9回は大谷選手という物語がもうあって、この船に乗ったらもう疑うことはないと」

栗山監督
「そうですね、それでいいんだって。一つだけ本当に確認ができたのは、1点差になって最後は、やはりあの2人じゃないと超えられなかっただろうなって。やっぱり凄いプレッシャーが最後はかかったので、普通のピッチャーではなかなか自分のピッチングができないんじゃないかっていう空気になったので。
最初にイメージした、『最後、この2人で行けないかな?』って思ったことは、間違ってなかったかなって凄く感じました。」