発覚から55年がたつカネミ油症事件。
1968年(昭和43年)カネミ倉庫(本社 福岡県北九州市)が製造する食用油に『PCB・ダイオキシン類が製造過程で混入』した事が発覚。
西日本一帯で多くの人に深刻な健康被害を引き起こしました。

ダイオキシン類の半減期は人の寿命を越え、被害者の体内には未だ高濃度に残存している事がわかっています。

『胎児にはほとんど移行していない』とされていますが、その一部は移行し、“死産や流産”を引き起こしたほか、“色素沈着の見られる赤ちゃん”が生まれました。

“黒い赤ちゃん”の誕生は世間に衝撃を与え、仕事や結婚への影響を恐れ、多くの人が被害を隠したまま 今に至っています。

カネミ油症の原因となったポリ塩化ビフェニル(PCB) は 当時『夢の化合物』と呼ばれていました。
事件発覚から半世紀以上たった今も、莫大な費用をつぎ込んだ処理が続いています。

こうした中、“PCBの製造企業”にも 油症患者救済の枠組みに入るよう求める声が高まっています。