ハンドボールが嫌いに…田場が陥ったアルコール依存症

2007年に沖縄を拠点とするクラブチーム『琉球コラソン』が発足。田場はコラソンの創設者でした。

琉球コラソン 田場選手「ハンドボールを主体に進めていきたいということがあって、ゆくゆくは女子ハンドボールも作りたいと思っている。そのための新チーム設立という流れになった」

社長、ゼネラルマネージャー、監督、選手を1人でこなす日々は決して楽なものではなく、特にスポンサー獲得のために欠かせなかったのが“酒”だったといいます。

琉球コラソン 田場選手「眠れないことがあるとお酒に頼るようになってというのが入り口だった気がする。どこからがアルコール依存症かというと、僕は離脱症状、禁断症状が出たあたりが依存症だったんじゃないかという気はする」

明確なきっかけはなく、気付いた時にはなっていたという『アルコール依存症』。

琉球コラソン 田場選手「朝か夜かわからない状態。飲んで飲んで起きて飲んで寝て、起きて飲んで。飲まないと顔も洗えないし歯も磨けない、電話もできないし」Q.当時はハンドボールに戻りたかった?
「全く思わなかった。ハンドボールが嫌いだった。触りたくもないし見たくもなかった。僕をこんなお酒で苦しめているのがハンドボールだと思っていたから、ハンドボールが嫌いだった」

コラソンを去り、職を転々とするも続かず。東京に移り住み、神奈川の病院で依存症治療に専念するも帰りの電車で飲酒。そんな田場を救ったのは、父・一彦さんでした。

父・一彦さん「この子の弟が東京にいて『もう自分では面倒を見切れない』と。『そんなに悪くなっているのか』ということで急きょ沖縄に連れてきた。」

その後、2ヶ月半に及ぶ依存症治療を行い、2018年にプログラムを終えてからは酒を一切飲まず、来月の4月2日で丸5年を迎えます。

琉球コラソン 田場選手「僕が2ヶ月半入院していた時の仲間はほとんど再飲酒したり多くの人が亡くなっている、お酒だけで。酒を飲みたくはなる、いろんなシチュエーションで。でも飲んだらどうなるかを僕は見てきたので、わかるので、一滴、一口でも飲んだら戻れない」

この写真は、退院する時の田場の体を写したもの。治療中も腕立て伏せ1,000回、腹筋2,000回を毎日行い、入院期間で仕上げたと言うから驚きです。