東日本大震災の発生から12年が経過しました。震災の記憶の風化が懸念される中、次の世代にどう繋いでいくのか。被災地から愛媛県内に避難している人たちが、新たな挑戦を始めました。

3月11日午後2時46分。東日本大震災の発生から12年を迎えたこの日。愛媛県松山市の石手寺では、東北などからの避難者らが、それぞれの思いを胸に祈りを捧げました。愛媛で生活を始め、10年以上。避難者たちは次の一歩を踏み出そうとしています。

■「この終わり方はないよな…」原発事故めぐり司法の場で闘うも“国の責任なし”

原発事故を受け、福島県南相馬市から愛媛県松前町に家族で避難している渡部寛志さん。ふるさとの避難指示は7年前に大部分が解除されましたが、子どもたちには思う存分自然に触れてほしいと考え、農業を営みながら愛媛で暮らしています。

渡部寛志さん
「なんで私たちはこんな状況に置かれているんだ。なんでこんな苦しい思いをしなくしゃいけなんだ。国に放っておかれている感というのを非常に強く感じて」

渡部さんは、原発を国策として進めてきた国の責任追及などを目的に、2014年から司法の場で闘ってきました。

提訴から8年。資料作りなど、1年のおよそ3分の1を裁判に費やしました。しかし、最高裁判所は去年6月、事故に対する国の責任はないと判断したのです。

「8年間は何だったのか。この終わり方はないよな…」

裁判が終わり、これからの自分に何ができるのか-。渡部さんは考え始めていました。

■「ああいう災害を愛媛で起こさせないように…」訪れたのは、公共施設が津波の浸水想定区域内に入る小さな町

それから8か月。渡部さんは、高校生や大学生とともに震災の記憶を伝えていこうと、あるプロジェクトを立ち上げようとしていました。

この日、渡部さんは、自身が代表を務めるNPO法人えひめ311のメンバーと、愛媛県立宇和高校三瓶分校を訪ねました。

渡部寛志さん
「東日本大震災のような、ああいう災害を愛媛で起こさせないような取り組みとして何かをしなくちゃいけない」

渡部さんたちは、避難者の声や被災地の今を、映像として記録したいと考えています。プロジェクトでは、その映像を高校生ら若い世代に作ってもらうことで、震災への関心を高め、次の世代に記憶をつなげようというのです。

宇和高校三瓶分校長
「興味が湧いてきましたので、何か生徒たちが活動できればいいかなと」

計画に興味を示す学校関係者。それには訳がありました。

三瓶分校の教諭
「基本的に公共施設が津波の浸水想定区域内に全部入っていて、自分たちにできることは逃げるぐらいしかなくて…」

三瓶分校は海の近くに建っていて、津波による浸水の不安を抱えているのです。

渡部さん
「実際どうだったかを被災地で学んでもらい、12年たった今どうなっているかも見てもらい、この地域に当てはめて考えていくことができればちょっとは発展していきますよね」


プロジェクトが、少しずつ前に進み始めました。

■「僕らの年代は知らない人が多い」当時5歳だった高校生もプロジェクトに参加

この日、渡部さんの自宅を訪れたのは、松山学院高校の生徒たち。この高校では、被災地にミカンを送る取り組みを続けていて、数年前からは渡部さんが育てたミカンを届けています。

渡部さんは、生徒たちにプロジェクトへの思いを伝えます。

渡部さん
「避難者には今まで自分の体験を語ってこなかった人たちがいっぱいいる。絶対心の中で思っているものはある。あるけど、テレビのカメラを向けられたら話さない。けど、みなさんぐらいの世代の方たちがマイクを向けたら、カメラを向けたら、この人たちには伝えなくちゃっていう思いになってくれると思うんですよ」

現在、愛媛に避難している人たちは28人。今回の取り組みは、記憶を繋ぐだけでなく、話したくても話せない避難者たちの支えにもなりたいと考えています。

渡部さん「当時5歳?なんか覚えています?震災のニュース見たとか。覚えていない?」
高校生「はい。僕らの年代も地震について知らない人が多いので、プロジェクトにみんなで参加して地震について知りたいと思います」
渡部さん「ぜひ、みなさんの力を貸してもらいたいと思っています」

渡部さん
「自分自身もできる限り起こったこと、今起きていることを理解した上で、これからのことを考えていく。これからもっとよりよい社会を作っていく力になりたいなと。その一歩が子どもたちに伝えることだと思う」

■次の世代に着実にー「二度と繰り返させない」信じて伝え続ける覚悟

(2023年3月11日)
渡部さん
「あらためて月日の流れとともに本当に大変なことだったなと感じる。心の中には引っかかった点、わだかまった点は残しながらの、今年12年」

松山市の石手寺の境内では、毎年3月11日に、避難者らがロウソクを並べて文字を作り、火をともします。

渡部さん
「初めてこんなに大勢集まった」

今年はおよそ50人が集まりました。いつもと違う光景が広がります。

参加者の中には、あの時声をかけた高校生たちの姿も。

12年前、多くの人の人生を変えた、この日。若い人たちも初めて避難者の思いに直接触れます。

福島・双葉町から避難 澤上幸子さん
「私の家は立ち入ることもできないです。避難指示解除も何もされていない。12年たって何か心境の変化は?って聞かれるんですけど、ぶっちゃけあまり変わっていなくて時が止まっている」

松山学院高校の生徒
「話していただいたことがすごく心に残りました。他人のことじゃなくて、自分のことだと思って考えていこうと思いました」

渡部さん
「徐々に皆さんの意識から遠くなっていく中でも、忘れてはならないということだけは伝えていきたい」

大切な日常を奪った、東日本大震災と原発事故。未だふるさとに戻れなくても、11年越しの願いを退けられても。被害にあった自分たちができることは「二度と同じ悲しみを繰り返させない」ことと信じて、伝え続けていきます。

渡部さん
「多少長い時間がかかったとしても、きっちりと次の世代、若い人たちに向けて何が起きたかを心で伝えていけるような中身にできたらいいかなと。着実にやっていこうかなと思います」