今も残るわだかまり…民間交流で雪解けを

会津民俗研究会・滝沢洋之会長
「会津史談会の方をこの列に来てもらうように誘ったんだけど、何回も誘ったんだけども、結局はやっぱり来れなかったのね。いろんなわだかまりがあってね、まだね」

一部とはいえ、萩への強い反感が残っているようです。

参加者「うちのおじいちゃんあたりが、萩って聞いただけであまり良くない印象をもってまして。われわれ会津の人間が萩に来れば、萩の人々から抵抗があるのかなという印象はありました」

別の参加者「民間レベルでこうやってお互いに行ったり来たりする機会が増えればいいなと思います」

会津で見聞広めた松陰の松下村塾へ

一行は、松下村塾にも足を運びました。幕末の争いになる前、吉田松陰は東北地方を訪れ、会津藩で見聞を広めていました。世界遺産で、ふだんは立ち入ることのできない講義室に上がって話を聞き、一行は松陰に親しみを感じたようでした。

長州と会津の友好を考える会・山本代表
「交流を考えて来られたという、初めての方もたくさんおられた。大変うれしいです」

山本さんは、30年以上前に会津との関係を知りました。当時、友好都市の話が持ち上がったものの、会津若松市から受け入れられなかったと聞いたのです。両市の関係をもっと未来志向にと、70回は現地を訪れ、交流を重ねたといいます。滝沢さんのように、共感してくれる会津の仲間もできました。

雪解けに向けて一歩ずつ

山本代表
「過去から現在までの感情をそのままもって、変えてくれなんて言わない。だけど、将来に向けて話そうと言うだけで、握手してくれるのが見たいね」

今回のツアーは小さくても着実な一歩になりました。両市の雪解けに向け、山本さんの活動は続きます。