ウクライナへの軍事侵攻から1年が経ちますが、現地では今も激しい戦いが続いています。戦争が日常となり、家族に会えない避難生活を続ける人や、侵攻当初に負った壮絶な体験が、心に深い傷となった人々がいました。

報道特集では、386人の住民が、28日にわたって地下室に監禁された村を、村瀬健介キャスターが現地取材しました。

「1時間後もどうなるか」戦争が“日常の一部”に 西の玄関口・リビウを取材

今週、報道特集の村瀬健介キャスターが、ポーランドから陸路でウクライナに入った。ポーランドとの国境から約70キロ。西の玄関口・リビウで取材を始めた。

村瀬健介キャスター
「たくさんの人が歩いています。それでも実際にミサイルによる攻撃も、1週間に1度の頻度で今も起きているんです。すでに戦争が始まってもう1年が経ちましたけれども、攻撃が続いていても日常生活ができるようになってきているということだと思います」

街では、戦争が“日常の一部”となっていた。

ーー平穏で日常が戻っているように見えるが?

リビウ市民の男性
「一時的なものです。ほとんどの人は恐怖を感じています」

リビウ市民の女性
「怖いです。毎日『最後の日』だと思っています。明日…というか1時間後もどうなるか分かりません」

「軍のためにお金を送ることだけでなく、裁縫もできる」避難者が働く縫製工場

ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始して1年。

圧倒的に優勢とみられていた軍事大国・ロシアに対し、ウクライナ軍は欧米による軍事支援を受けながら徹底抗戦し、東部や南部で激しい戦闘が続いている。

約1年前、リビウにはウクライナ全土から多くの避難者が集まっていた。

故郷を追われた人たちは、戦時下でどのような日常を送っているのか?リビウ市内にある縫製工場にカメラが入った。

グレゴリー・テクシティール社では元々、ホテルやレストランの制服を作っていたが、現在、ウクライナ兵の軍服も作っている。その軍服作りを担っているのが、国内避難者だ。

グレゴリー・テクシティール社 オクサナ・チェレパニチ代表
「避難者は着の身着のままでした。家もないし、蓄えもありません。だから私達は避難者を雇用することにしたんです」

長引く戦争で需要は拡大し、一時は、生産の半分が軍服になり、今でも注文が絶えないという。37人だった従業員は今では100人を超えた。

ハルキウから避難 タティアナさん
「収入を得ることも必要でしたが、私達の国は戦争中なので、支援したかったんです。軍服を作ることで、そう実感できるんです」

ドネツクから避難 オクサナさん
「息子はウクライナのために戦っています。私はこの街に来て3日目に働き始めました。ウクライナ軍のためにお金を送ることだけでなく、裁縫もできると思いました」