穏やかだった2人の故郷・リビウはミサイルが飛び交う戦場に…


2人の故郷・リビウはウクライナ西部の比較的安全とされていたポーランドとの国境に近い街でしたが、ミサイルが飛び交う毎日が日常に…。

病院は兵士優先となるなど普通の暮らしは失われています。

「ウクライナでは自分の治療ができないから、治療のためには当分戻ることはできない」

イブへニアさんはいまも倉敷市で避難生活を続けています。

「こんにちは」

ここでの生活も約半年が経ち、趣味の料理に没頭する毎日です。

この日は娘のリリヤさんとキッチンに立ち、ウクライナ料理をつくりながら2人の時間を過ごしました。

(リリヤ・バビィさん)「私が一緒に料理をすると、形が違うとか母は文句が多いです」

「まだ早かったらしいです」
日本での生活にも慣れ、時折、楽しげな表情を浮かべるイエブヘニアさんですが、ウクライナに残す家族の身を案じる毎日です。

「向こうではずっと不安だったけれど、日本に来てから安全ですが、ウクライナの事は頭から離れない。ウクライナの事は毎日思っています」

「知り合いのお母さんの犬…」

「お姉さん夫婦の写真とかを見てお母さんは安心してます」

ウクライナに残る家族から届く毎日の連絡が2人の心の支えです。しかし、リリヤさんもこの1年で友人を亡くすなど、いつ誰が犠牲になってもおかしくない状況は変わらないといいます。

「料理をつくっているけれど電気がない、(電気が)ある時間が少ない」

「とにかく生きていてほしい、いつどこにミサイルが飛んでくるのかも分からないので」

この一年、不安や恐怖を感じながら過ごしてきたリリヤさんたちが願うのは祖国の 平和です。

(リリヤ・バビィさん)「平和になってウクライナが元に戻るにはすごい時間がかかると思うけれど、まずは戦争が終わって、家に帰ってみんなに会うことが夢です」

「家族揃って食卓を囲みたい」と、当たり前の日常が戻ることを祈るウクライナの人々。その願いにどう寄り添うか。私たち一人一人が問われています。