ジーワンさんが2つ目の店の場所に選んだのは松本市の郊外にある池のほとりでした。

「これはポカラ、ふるさとと同じく見えてネパールの思いをここでいつも思い出せるような場所かなと思って、ポカラにペワ湖というでっかい湖がございまして向こうにはアンナプルナ山群がございますのですごくポカラに似てるなとだから店の名前もリトルネパール、小さいネパール、ここに決めたんですけど」

故郷の情景を思い出すにつれジーワンさんにはネパールの子どもたちを支援したいという思いが募ってきました。

「山奥の子供たち学校行ってない状況にあって親が毎日自給自足だけで精一杯で金を稼げる仕事はないし、やっぱ自分の子供たちに学校は行かせたいけど、なかなかその金がないんでいろいろな文房具は買えなくて行かせられない」

ネパールはアジアの中での最貧国の一つで1人当たりのGDPも1191ドルと日本のわずか3%しかありません。

貧困などの理由で、義務教育終了まで学校に通える子どもは3人に2人と言われ、特に山村部では校舎の設備が不十分だったり何時間もかけて通学したりと学習には困難が伴います。

日本から何か手を差し伸べることはできないだろうか。
ジーワンさんは店の入り口に募金箱を置いて来店客から寄付を募りました。

(ミュージシャン)「本日の目的は、子どもたちのために特別支援を…」

店にアマチュアバンドを呼んで料理の売り上げの一部を寄付するなどチャリティライブも行いました。

「(これ、何年分ですか?)3年、3年分ですけどいくらあるかわかならない、楽しみです」

(ジーワンさん)「1円でも何円でも皆さんの気持ちが入ってますのでイベントでやったお金も足して自分でもちょっと自分の気持ちを足して向こうに、いくらできるかわからないけどそれを送りますので」

募金箱には4万4000円余りと45セントが寄せられていました。
ジーワンさんはネパールの学校に文房具を送るため現地の友人5人ほどとNPO法人を立ち上げ準備を進めました。

初回としてまずは、ネパール中西部、ルクム地区にある9つの学校へメンバーそれぞれが募金で集めたお金で購入した鉛筆やノートなど1250人分を届けることになりました。
NPOのメンバーでジーワンさんのホテルマン時代の同僚だったタクリ・ソービットさん。

現地に行けないジーワンさんに代わって文房具を学校へ届けてくれます。

(ジーワンさん)「今準備してるところですね、ネパールに送るために全部この倉庫で準備しています」

(ソービットさん)「これはノート、鉛筆、ノート、消しゴム、ここにもあります、大きい子にはボールペン、小さい子には鉛筆」

倉庫では8人ほどのボランティアがうず高く積まれたノートに囲まれ荷造りを行っていました。

(ジーワンさん)「僕1人でできることじゃないので、彼ら現地で頑張ってくれているので、これ今、実際自分の目で見れて、めちゃめちゃ嬉しいです」

(ソービットさん)「明日準備終わらせてあさって朝早く出ます、2日間車で行って、そのあとはロバで山奥まで運びます3日くらいはかかると思う」

ルクム地区の山あいにある学校では子どもたちが整列して待っていました。

(学校関係者)「こんな山奥にある学校に来てくれて感謝しています、貧しい子どもたちに文房具を配ってくれやる気も高めてくれた、今後も支援をお願いしたい」

現地から届いた写真には文房具を大事そうに抱える子どもたちと1枚の大きな紙が写っていました。

紙には「リトルネパールレストランのジーワンと寄付をしてくれた日本の皆さんへ」と感謝の言葉が綴られていました。


(ジーワンさん)「自分がやり出していることは無駄じゃないというのがちょっとでも力を貸せば子どもたちって本当に笑顔で学校行くきっかけが出来るなと思ったしこれからもそれを続けていきたいなと、この第二の故郷・松本で頑張っていきたいと思います」