5対5の同点で迎えた9回表。2アウトランナー無し。バッターは前の打席、センター前タイムリーヒットの3番。舞台は夏の甲子園2回戦、ベスト8をかけた一戦。

「カーブのサインが出ていて、バッターも打ち気だったのがわかったので…」

そして“初球”…。甲子園が止まった。

その1球は、まるでネコの背中のように山なりの弧を引きずり、真夏の熱気をゆるゆると纏いながら「スポッ」とキャッチャーミットに収まった。

「ストライク!」

“超”がつくほどの「スローカーブ」。
バッターは固まり、スタンドは前のめりになり、スコアボードにはスピード表示なし。「測定不能」だった。

「嬉しかったですね。ストライク取れて」
甲子園の緊迫する場面で投じた大胆過ぎる“超遅球”。それは公式戦で初めて投げた会心の1球だった。

山田空暉投手―

「空」に「暉」で「てんき」と読む。すでに眩しい。愛工大名電高校から、今年、四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに特別合格入団。NPBを目指しすでにチームに合流している。

去年の第104回、夏の甲子園では愛工大名電の4番・ファースト兼投手としてベスト8に貢献。あの「名古屋電機」時代、精密機械のようなカーブを武器にした工藤公康投手を擁しベスト4入りした1981年以来、実に41年ぶりとなる「夏の甲子園1大会2勝」を支えた。

また打者としては、4試合で13打数7安打、打率538、5打点と打ちまくると、投手としても登板2試合で8回2/3を投げ、防御率1.04と堂々の結果を残した。

そしてあの“超遅球”には、山田が憧れる北海道日本ハムの伊藤大海投手がツイッターで「ナイスボール これストライクになった時の嬉しさわかる民です」と讃え、
山田も「ずっと憧れの選手だったので嬉しかったです」と満面の笑みを浮かべる。

「甲子園球場は広くて、キレイで、雰囲気が県大会とは全然違って、メチャメチャ楽しい気持ちで野球ができました」

準々決勝では、優勝旗とともに白河の関を越えた仙台育英に2対6で敗れたが、山田は最終回、2アウト1、2塁からタイムリー2ベースを放つなど、まるでレモンをしぼるかのように、最後まで甲子園を堪能した。

「甲子園の時は、最後までやれることはやったと思っていたので負けても悔しいとは思わず、やり切った感覚でした。“緊張”というのもあまりなかったです。もともとあまりしないのですが…」

緊張は、しないらしい…。

「小学生の時からほぼ毎年、全国大会に出て、大きな舞台で結構やっていたので場慣れというのはあります。あまり緊張しないので大きな舞台で野球やってもいつものプレーが出来るのかなと思います」

滋賀県出身の山田。琵琶湖の東岸、彦根城で有名な彦根市の隣町、甲良町が故郷だ。「めちゃめちゃ田舎です、ホンマになにもないです」と山田は笑うが、この時期、雪はたっぷりとあるようで「愛媛に来て温かくて、気温も野球するのによくて、今年は動けてます」と語る。

山田は兄2人、姉1人と「4人きょうだい」の末っ子だ。兄が2人とも野球をしていた影響で、小学2年生で野球を始め、中学まで地元チームで軟式に没頭していたが「中学に入った時から、高校は県外で親元離れて自分でしっかりやると決めていた」という。

そして山田の進路を決定づけたのは、中学3年生の最後の大会。ナゴヤドームで開かれた「中部日本地区選抜 中学軟式野球大会」。山田は、滋賀県代表「滋賀ユナイテッドJ Boy's」のエースとして1回戦でいきなりノーヒットノーランを達成すると、2回戦を8対0、準決勝を9対0で完封し、一躍注目を集めていった。決勝は愛知県代表チームに1対3で敗れ、準優勝に終わったが、この活躍が愛工大名電のスタッフの目に留まり、その後の活躍に繋がっている。

しかし順風満帆だった野球人生に試練が訪れたのは去年のドラフト会議。山田はチームメイトの3年生とNPBからの指名を固唾を飲んで待ったが、本指名、育成枠を通じて吉報は届かず。甲子園を沸かせた注目選手の“指名漏れ”は、関係者からも驚きを持って受け止められた。

愛工大名電・倉野光生監督からも「すぐに切り替えるのは無理だと思う。それでもしっかり切り替えて、次の道で結果を残してプロにいくように」と言葉を選び励まされたという。

それでも“快速球”でも測定不能の“超遅球”でも、狙ったミットは外すことなく、ストライクのコールを浴びてきた山田。自身の目標にブレが生じることもなく、“屈辱の3時間”をさらなる推進力に切り替えていったという。

「気持ちが落ちることもありましたが、そこはしっかり切り替えられた。監督とも話して独立リーグに行くことになりましたが、1年間で結果を残してプロに行くという気持が、より強くなったと思います」

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2月1日の愛媛MP初練習から1週間が過ぎたこの日は雨。松山市の坊っちゃんスタジアムの屋内練習場で、山田は初めてブルペンに入った。去年7月には地方球場初、3回目のプロ野球オールスターゲームが行われ、そうそうたるメンバーが肩をならした“聖地”。昂る気持ちを押さえつつ、キャッチャーを立たせてのピッチングだったが、183センチ、80キロの長身を生かしたしなやかなフォームから繰り出すストレートは、その場で見守った正田樹コーチ兼投手(41)(元日本ハム、阪神、台湾、BC新潟、ヤクルト)を唸らせるには十分だった。

「いいボール投げるね」

高校の時は、練習の8割はバッティング練習だったが、愛媛MPでは投手で勝負する方針の山田にとって、「ピッチャー練習」は奥が深く、新鮮な毎日だと言う。

「体幹の種類も多く、ランニングメニューもいろいろある。力の入れ方だったり、自分の考え方や意識ひとつで成果も変わってくると思う。選手ひとりひとりの意識が高いと思います」と目を輝かせるが、ひとつ「確信」したこともあると言う。

「ピッチングはブルペンに入ってからではなく、キャッチボールから狙った場所に投げられる感覚というものを日頃から身に着けていくことが大事。高校の時にも分かってはいたんですが、ここに来てその意識がより高くなりました」

今季、愛媛MPの投手陣はチーム過去最多の20人。競争は熾烈を極める。それでも山田に焦りはない。
「ランニングもフォームを意識して走るなど、ひとつひとつのメニューを自分で考えてやることが大事で、それら全てがピッチングに繋がってくる」という平井諒投手コーチ(元ヤクルト)の指導のもと、まっすぐに高みを見据える。

「シーズンが始まって、常時150キロ以上は出せるようにしたいです」

真夏の聖地で披露した“測定不能の超遅球”から半年。雨の坊っちゃんスタジアムから見上げる厚い雲の向こうには、その名のとおり、眩しいほどに晴れ渡る空が待っている。