命を懸けて書くことは「美しい」

富良野が全国区の観光地となる立役者でもありましたが、演劇・芸術活動の振興や、環境活動にも取り組みました。たくさんの取り組みを通して、倉本さんが残したものとは…
映画監督・是枝裕和さん
「20歳のときに脚本の真似ごとを始めたときに、倉本さんの脚本が一番の教科書だった」
倉本聰さん
「東芝日曜劇場は、すごい力を発揮してドラマ界を牽引していた。僕の人生を変えてくれた」
倉本さんが生前、「人生を変えた」と話す「東芝日曜劇場」は、1956年からTBS系列で放送されていたドラマ枠で、HBCも制作に参加していました。
倉本さんは、19のドラマ作品で脚本を執筆しました。
戦争に翻弄された人生の終盤、かつて住んだ街の地図を描こうとする老夫婦を描いた「幻の町」(1976年2月)。
片田舎に赴任した、ちょっと不器用な駐在さんと、それを支える妻の暮らしを描いた「うちのホンカン」。
北海道に暮らす人の営みから、物語の着想を得ました。

倉本聰さん(2021年是枝裕和さんとの対談)
「板前、ホステス、隣に座った人、それから意図的に利害関係がない人と交際した、ホステスもやくざもいたけれど変な関係にならない。その代わり、いっぱいネタを拾った」
是枝裕和さん
「物語が土地に根付いている気がする。その強み、魅力があの時代のHBCの倉本ドラマには強烈にある」
HBCのOBで演出家の長沼修さんは、1973年以来、10本の倉本作品の演出を担当しました。

演出家・長沼修さん
「素朴な田舎の放送局の作り方に彼なりに親しみを感じていたのでは。本州のテレビ局が撮影に来ると、自然を俳優の後ろに置いて、背景として撮るんですね。(倉本さんは)自然を風景としてではなくて、心象風景としてどう撮るかということをずっとやっていた。北海道の人の心の中にある風景、そういう風景を、倉本さんは完成させたんじゃないかな」
倉本さんは生前、HBC制作のドキュメンタリー番組で、90歳を間近にしても、精力的にペンを執る理由を、こう語りました。

倉本聰さん(2021年)
「HBCの作品を書いているときもそういうものだった。作品が残っていくことや、ビデオになるなんて想像もしていなかった。台本は捨てられるし、その瞬間だけでビデオはなかったし、だが、あの瞬間だけ命を懸けて書くことは、行為として『美しい』と思った」
北海道の自然を愛し、北海道の人を愛した生涯。
倉本さんが描いた作品は、忘れ去られることはありません。














