戦争資料館から平和資料館へ 必要だった展示の変更

インパール平和資料館。設立準備当初は、戦果を強調するような展示内容だったため、南風原文化センターの関係者が何度も現地に足を運んで助言を行い、現在の形となりました。

南風原文化センター 大城和喜初代館長
「彼らの案を見ると、武器を手にする将軍を称賛する、誰がどこで戦っている、どれくらいの戦果をあげたとか、こういう内容だったそうです。これはもう戦争資料館ですよね、戦争を賛美する資料館。まったく逆のことがつくられようとしていたそうですよ」

展示の変更に携わった、大城和喜さん。資料館がオープンした今、人材を育てていく必要性を感じています。

大城和喜館長
「建物つくって終わりではない。つくった時がスタート。人を育てて運営していかなければいけない」

これまで日本でほとんど語られてこなかったインパール作戦の実相に、参加者たちは、沖縄戦との類似性を感じていました。

女子児童
「沖縄戦みたいな感じで、沖縄もたくさんの人亡くなっているし、インドもそれと同じような感じで、苦痛しかない」

男子児童
「インパールの戦争と沖縄の戦争がつながっているところがあるなと思った。沖縄は戦争がアメリカと戦争とかしていて、分かっていたと思うけど、インパールはイギリスと日本が急に戦争をして死んだ人もいて、びっくりしました」

ライシュラムさん
「設立してまだ3年ほどの資料館でまだまだやらないといけないことがたくさんある。収蔵品をローテーションし、来館者が何度も足を運べる展示にしたい」

およそ80年前、大国の争いに巻き込まれ戦場となったインパールと沖縄。2つの地域をつなぐ交流はこれからも続いていきます。