「マムシの周六」と恐れられた徹底取材 弾圧を乗り越え有力紙へ
涙香が掲げたモットーは「弱きを助け、強きをくじく」。「社会正義を体現する」ため、権力者の不正を徹底的に追及する取材姿勢と、他の新聞を圧倒する大量報道で、そして庶民でも求めやすい価格で、「萬朝報」は大きな人気を博しました。
影山桃子 学芸員
「『徹底的に取材する』ので、本名の周六から『マムシの周六』という、ちょっと怖いあだ名で恐れられた存在だった。そういう名前が付けられているという点も、民衆に喜ばれた理由なのでは。『土佐の男』なので『反骨心、いごっそう』という面もあったんじゃないかと」
そして、1900年ごろには、「非戦論」を掲げた幸徳秋水・内村鑑三・堺利彦らも加わって、痛烈な政府批判を展開した記事も、新聞内で高い人気を集めました。
影山桃子 学芸員
「『綱渡り』的な面もあったんじゃないかと⋯。『ギリギリを攻めていた』感じがする」
ただ、こうした逆境の中でも「萬朝報」は人々の人気を集め、発刊から10年ほど経った1902年には、東京新聞界の発行新記録を打ち立てるなど、有力紙に成長しました。
そんな「萬朝報」の人気を支えたのは、記事だけではありませんでした。














