アメリカ兵の「追悼碑」と名前や階級も刻んだ「石標」を建立
住職を継いだ一仁さんも供養は続けていましたが、戦後60年が過ぎた頃 父の思いを形に残そうと、2006年 現場近くにアメリカ兵の追悼碑を、翌年にはアメリカ兵の名前や階級も刻んだ石標を建てました。
(地蔵院 耕野一仁さん 2007年)
「戦後62年になりますと、『敵も味方も命は大切だ』という思いをともに共有するという立場で考えた。歴史の中でこういうことがあったということを語り継ぎ、子どもに『平和な世の中になるように』という思いを引き継いでいただく」

この時にも迷いはあったと振り返ります。
(地蔵院 耕野一仁さん)
「(戦争で)亡くなった人たちの遺族の気持ちは優先した。どういう風に思うかなと。言っていただいたのは、『うちの父親が亡くなったのは南方諸島やフィリピン諸島や、そこで追悼碑を建ててくれたら嬉しいやんか』と言ってくれた。区の役員さんが建立に伴うお金まで出してくれた。当初は夢にも思わなかった」
当時、地元の区長を務めていた栢本茂男さんも父親を戦争で亡くしていますが、追悼碑の建立を後押しした1人です。
(栢本茂男さん)
Q.慰霊碑の建立は悩んだ?
「悩むということはなかった。戦争だから日本に戦死者がいるのは当たり前だし、向こうにも悲しむ遺族もいるし、お互いのことだと」















