語らなかった被爆者の祖母「聞けなかったことが心残り」
今年3月時点で被爆者の平均年齢は86.66歳と高齢化が進んでいて、当時の体験を語れる人は、年々減少しています。

福岡市在住 宮沢淳子さん(47)
「私自身は祖母が被爆者だったんですけれども、ただ入市被爆でしたので、直接家がその時市内にあって被害を受けたということではなくて、知人、家族を探しに中に入った時に、火傷を負ったりはしていたたんですけれども、ちょっとあんまり祖母も語ってくれなかったところがありまして、自分自身は聞けなかったことっていうのは、ちょっと残念だったなというか、心残りに思って」
宮沢さんの祖母、福田芳恵さんは長崎市で被爆しました。
被爆者を救護した医学部生の記録

被爆3世として、祖母が語れなかった分まで語り継ごうと、講座以外でも精力的に情報収集に取り組んでいます。
今回、宮沢さんが対象として選んだのは、当時、九州帝国大学の医学部生だった、濱清さんです。濱医師は長崎の原爆投下直後、被爆者たちの救護にあたりました。

福岡市在住 宮沢淳子さん(47)
「かなり壮絶な体験をされていると思います。生々しいことが記録されていますね。先生は一番ひどい人たちを何人もずっとたくさん、客観的な立場で見続けたっていうことで、医療者としての記録というのは珍しい、すごく貴重な体験ではないかと思いました」
宮沢さんは高校生の時、授業の一環で濱医師の研究所を訪れたことがあり、濱医師は長崎での経験を話してくれました。
一方で、宮沢さんはその経験を自分が語ってもいいのか不安を感じていたといいます。

福岡市在住 宮沢淳子さん(47)
「調べていく中でやはり貴重な体験ですし、直接お会いした時に語り継いでいってくださいって言われたので。むしろこの体験は、やっぱりぜひいろんな方に知っていただくべきなんじゃないかと思って、途中で吹っ切れました」
宮沢さんは濱医師が被爆者の救護にあたった学校の跡地などをめぐることで、何を体験したのか理解を深めていきました。そして集めた資料を基に、原稿を作りあげました。














