布団を被って田んぼへ…火の海を耐え忍んだ2時間
1945年7月3日、空襲警報が鳴り響いたため防空壕に避難した、当時7歳の池田さん。夜に警報が解除され、自宅に戻り、床につきました。
しかし、4日未明、突然始まった空襲で起こされます。家族4人、夏布団を被って、近くの田んぼに飛び込みました。
(池田實さん)
「布団に燃え移ったらいかんから母と姉が何分か間隔では持ち上げて、水をかける持ち上げると熱気と火の熱さ火の光、煙、ガスで息苦しいので『早く布団下ろしてや』言うて、そういうふうな繰り返しで、水をかける布団をかぶる下ろす、それを2時間近くずっと続けていたのが高松空襲でした」
B29による最後の一撃で住む家を失ったという池田さんは、親戚を頼って、今の観光通りを西へと避難しました。
(池田實さん)
「今のガザと同じような状況でした炎も上がっているし無言の人が通りすがりに歩いているそういう状況の中でなんとか電線とか電信柱とか家財と焼野原みたいな間を通って中新町に行くわけです」














