「予算がない」の一点張り――動かぬ役所と、動き出した一人の男
大正時代の東京。200万の市民の命をつなぐ水道は、たった1本の水路に頼っていました。
多摩川上流の羽村から延々40キロ。開渠で水を運ぶその堤防は、震災の前々年に起きた地震で数カ所が崩壊し、3日間も全市の水道が止まったという"いわくつき"のものでした。
畠山一清は、その危うさをいち早く見抜いていました。
時の東京市・永田青嵐市長をはじめ、内務省の技術担当官まで、関係者を説いて回りました。現場に集め、データを示し、訴え続けました。
賛成はする。しかし答えはいつも同じでした。「予算がない」














