「救護看護婦」として中国・青島の陸軍病院に赴任

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従軍看護婦とは、陸海軍の監督の下で軍医や衛生兵と共に日本兵の看護にあたったナースの通称です。

このうち、日赤の養成所を卒業した人は「救護看護婦」と呼ばれ、満州や南方の島々など、国の内外の病院に合わせて約3万人が派遣されました。

敏子さんも、「国の役に立たなければ」と看護婦を目指した一人です。

(森原敏子さん)
「兄が(病気がちで)兵隊に行かれなかったから、両親が男の代わりに(私を)日赤に出したわけです。普通の勉強と、それから看護の勉強をしました。初めて習うでしょ、だから大変です」

この頃、看護婦になることは、女性が戦争に行くための手段、憧れの道にもなっていました。

敏子さんは、医療や看護、軍の規律などの知識を養成所の3年間で身につけ、1943年、中国・青島の陸軍病院に赴任しました。