「病室から作っていかなきゃならんから、大変」
(森原敏子さん)
「私は内科勤務でした。忙しくて…、本当に忙しかったわ」
「病室から作っていかなきゃならんから、大変でした」
多忙を極めたという、医療の現場。長年救護看護婦の実態を研究してきた川口啓子教授は、当時の労働環境について…

(大阪健康福祉短期大学 川口啓子名誉教授)
「22時間寝ていないとか。よくそれだけ働けたなと。何がそうさせたんだろう、というくらい。昼とか夜とかもなければ、休みとかましてや週休2日なんてあるわけない」
敏子さんが働いていたのは、前線から最も離れた、陸軍病院。野戦病院などで治療しきれない、重症患者が運ばれてきました。
戦況が厳しさを増し武器や食糧、薬が不足する中、その数は増加の一途を辿ったといいます。














