村上信五さんが向き合ったヒロシマ・8月6日

VTRでは紹介しきれなかった松本さんのお話を、スタジオで、村上さんは振り返りました。

村上信五さん
「松本さんも、語り部として残された時間はやっぱり少なくなってきてるというのはおっしゃられてましたし、今だからようやく言えることもあると。
あとは、3歳の時に被爆されて、電車で立ったまま焼け焦げて、立ったまま亡くなられた方を実際に見たんだと。髪の毛が逆立ったまま亡くなられてた方を見たんだと。でも小学校に上がった時に、当時の同級生にそれを話しても信じてもらえなかったんですって。『そんなことあるわけない、そんなん嘘に決まってる』と。でもそれをきっかけに、『あ、この話はしちゃいけないんだ、どうせそうやって嘘だと思われるんだったらやめよう』と思って、もうしばらく話さなかったんですって。

村上信五さん
「で、あのサンフランシスコのあの条約まで、当時アメリカも、話してはいけないよという期間がありましたから、それもあいまって余計とずっと蓋をしてたと。
その後、色んな自分以外の被爆者の方の話が出てきた時に、自分と共感してる言葉であったりとか、見てた景色が、『あ、あれ一緒だ、やっぱり間違いじゃなかったんだ』という確信得られたことによって、還暦になられてから大学院にも行かれて、博士号も取られて、子どもたちと接し方について心理学の勉強もなされて、でそれも含めて、語り部として、もうやっていこうということで、本を書かれたというところから、今の活動に繋がる、ということを、お話しされていて。やっぱり語るまでの準備もあるんですよね」

村上さんは、実際に、被爆した建物に行き、被爆した方にお話をうかがうことで得た感覚について、こう話しました。

村上信五さん
「平和という言葉の定義、自分の中での咀嚼の仕方とか噛み砕き方とかの腹落ちさせる、内訳はすごく変わりましたね。というか腹落ちしなくなったという方が、今は適切なのかもしれないな。なんか一概に「これだから平和ですよね」って、安直に言えない。もちろん今、僕たちがこういう活動をできてたりとか、テレビでこう話せてるっていうのは、平和の一つなのかもしれないけれど、でもそれはやっぱり先人たちが苦しみと闘ってきてくれた過去があるから成り立ってることであって、もちろん地域、世界を見れば、僕たちが享受してる”当たり前”って当たり前じゃないことも、同じ時間軸で動いてるじゃないですか。だからその平和という言葉の意味って、これからも考え続けなきゃいけない、伝えていかなきゃいけないな、という大きな問いとして、改めて今抱えているのが正直なところです」

村上信五さんが向き合ったヒロシマ・8月6日についてお伝えしました。