被団協結成70年 声明「ふたたび世界への挨拶」

日本被団協が長崎の地で結成されてから8月10日で70年を迎えました。

原爆投下から11年あまり、日米両政府による支援もなく、厳しい報道規制の下、被爆者は病苦と差別と偏見の中で沈黙を強いられました。

1954年ビキニ環礁の米水爆実験で、日本の多くの漁船が「死の灰」を浴び、マグロが汚染され、第五福竜丸の船員が亡くなり、国民は放射能の怖さをはじめて知りました。3000万人を超えた原水爆禁止を求める署名が大きな力となって、翌年、広島で原水爆禁止世界大会が開かれ、国内外のみなさんから暖かいまなざしが向けられ被爆者は立ち上がる勇気を得たのでした。翌1956年、長崎での第2回世界大会の二日目に日本被団協は結成され、結成宣言「世界への挨拶」で「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」と、高らかに宣言しました。

あれから70年間、私たち被爆者は、世界中のだれにも自分たちと同じ経験をさせたくない、ふたたび被爆者をつくらせてはならないと、体験を語り、核兵器の廃絶を訴え続けてきました。核兵器は人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許さない、人間と共存できない悪魔の兵器であることを語り続けてきました。そして“国の存亡をかけた戦争による国民の犠牲は、生命、身体、財産の被害も「がまんせよ」”という国の方針に抗って、戦争を遂行した国の責任にもとづく原爆被害への償いを求めてきました。

世界は被爆者の声を聞き、核兵器禁止条約を採択・発効させました。長年被爆者が願い、訴え続けてきたこの条約の成立に、私たちは「生きていてよかった」と喜びを分かち合いました。2024年のノーベル平和賞受賞も大きな喜びでした。核兵器や武力ではなく、言葉が、対話が大事であることが改めて示されました。被爆者の存在が、日本被団協の運動が、核兵器の使用をおしとどめてきたことが授賞の理由にあげられ、世界に知られました。

しかし今、世界は激動しています。2022年のロシア・ウクライナ戦争からイスラエル・ガザの戦い、2026年の米国とイスラエルによるイランへの武力攻撃など終わりが見えません。大国の指導者たちの国際法を蔑ろにした横暴、殺りく、核の威嚇は到底、許されるものではありません。

日本の現政権は、非核三原則や憲法を十分な議論もなしに変えようとしています。戦争をしない国として世界の信頼を得てきた平和憲法は世界の宝です。

私たちの要求は「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」です。日本被団協は被爆者に関する3つの法律を制定させてきました。しかし、1994年に制定された現行の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」にも国家補償は入らず、社会保障の域を出ない魂の抜けた法律となりました。あの時、自分が死ぬことも知らず、被爆者と呼ばれることもなく死んでいった人たちへの償いを含め「いのち、からだ、こころ、くらし」にわたる戦争被害への償いを国が認めること、核兵器禁止条約に日本が署名、批准することは、世界に対する被爆国の歴史的責任であり、平和な世界への第一歩です。

被爆者が願い続けてきた「核兵器も戦争もない人間社会」を築くのは、世界の市民ひとりひとりです。私たちは残されたいのちの限り訴え続けます。共に闘ってまいりましょう。

「人類の危機を救おう」と立ち上がった先人らの誓いと共に、未来への伝言といたします。

2026年8月10日
日本原水爆被害者団体協議会