声は「カタチのない身体」、鍵になるのはコンマ数秒のずれ

ここまでは「耳」の話です。お伝えしたいのは、そこで運ばれる「声」のほうの性質で、ひと言でいうと、声は「カタチのない身体」のようなものだと思っています。

もちろん、声は演じられますし、いまは加工も合成もできます。それでも、風邪をひけば鼻声になり、疲れていれば張りがなくなる。緊張すればのどがしまって高くなり、落ち込めばトーンに出てしまう。文字なら気合いを入れて元気な文章を書けますが、声には身体の状態がにじみやすいのです。

そう考える手がかりになる研究が2つあります。ひとつは「スピーチ・ジャマー」と呼ばれる装置です。産業技術総合研究所の栗原一貴さんと、当時は科学技術振興機構「さきがけ」に在籍していた塚田浩二さんが開発し、2012年にイグノーベル賞の音響学賞を受賞しました。しゃべっている人の声を拾い、コンマ数秒だけ遅らせて本人の耳に返すという仕組みで、これだけで発話が乱れることがあります。効き方には個人差がありますが、しゃべるという行為が、自分の声を耳で確かめながら成り立っている運動だということは、この装置からよくわかります。

もうひとつが、「なぜ自分で自分をくすぐれないのか」という研究です。イギリスの認知神経科学者サラ=ジェイン・ブレイクモアさんたちが1999年に発表した実験で、参加者は左手でロボットのアームを動かし、それに連動した別のロボットが右手のひらを刺激する、という仕掛けを使いました。左手を動かしてから刺激が来るまでの時間差を、0、100、200、300ミリ秒と変えていくと、自分の動きが起点であるにもかかわらず、遅れが大きくなるほど「くすぐったい」という評価が段階的に上がっていったのです。

声と身体という別々の現象を扱った2つの実験が、そろってコンマ数秒という短い時間を扱っている。ここから先は僕の受け取り方ですが、自分の身体とそうでないものを分ける境目は、皮膚の上だけでなく、時間のほうにもあるように思えます。同じ人が、同じセリフを同じ声でもう一度くり返せないのも、声が身体と切り離せないからです。