当時は大半が木炭車 戦後、木炭が不足し…

当時はほとんどのバスが木炭で走っていたそうですが、戦後は不足に陥りました。

元広島電鉄のバス運転手 川本高さん(1995年取材)
「当時残存した約30台のなかで、1台か2台くらいガソリン車が居た。あとは全てが木炭車。木炭が無くなったので、切った薪をバス車体後部の発生炉という機械に詰めた。そこで薪を燃やして煙を撒いて走っていた」

その後、バスは広島の復興を支えました。燃料や資材不足は徐々に落ち着いていき、いまも主流のディーゼルエンジンのバスにシフト。1957年には日本初の複数社が乗り入れるターミナル、初代・広島バスセンターが完成します。

特に山間部では、モータリゼーションで自家用車が普及するまで、バスは乗客だけでなく、薬や新聞など、さまざまな荷物も運ぶライフラインでした。

広島電鉄 藤田睦さん
「バスは線路がなくても道路があればどこでも走れますので、そういった意味では、非常にきめ細かくお客様のニーズに対応してきたということかと思います」

原爆による被害を乗り越えた広島のバス…121年目のきょうも、私たちの街を走り続けます。