2日後には 爆心地から約300mの場所にもバスが
さらに、その2日後の8月8日には、爆心地からおよそ300mの紙屋町をバスが走っていた証言が、1954年に発行された広島電鉄の社内報に残されていました。

広島電鉄 藤田睦さん
「被爆して2日後、8月8日、まだ電車が動けない状態の時に、千田町から紙屋町通って広島駅まで路線バスを運行したという従業員の証言があります」

当時、路面電車が8月9日に一部の区間で運行を再開しましたが、バスはそれよりも1日早く走り始めていました。
さらに、その2日後の8月8日には、爆心地からおよそ300mの紙屋町をバスが走っていた証言が、1954年に発行された広島電鉄の社内報に残されていました。

広島電鉄 藤田睦さん
「被爆して2日後、8月8日、まだ電車が動けない状態の時に、千田町から紙屋町通って広島駅まで路線バスを運行したという従業員の証言があります」

当時、路面電車が8月9日に一部の区間で運行を再開しましたが、バスはそれよりも1日早く走り始めていました。





