長崎大水害から44年を迎えた7月23日。長崎市太田尾町の山川河内地区では、長崎大水害だけでなく、江戸時代に発生した大規模な土石流災害の記憶を受け継ぐ「念仏講まんじゅう」という風習が今も続いています。地域では、この風習を通して災害の記憶を伝承しています。

長崎市太田尾町の山川河内地区。大雨が降れば川が増水するこの山間の集落は、古くから何度も水害に悩まされてきました。

山川河内地区で暮らす松田末信さん73歳。松田さんの先祖は、江戸時代の万延元年(1860年)にこの地区を襲った土石流に巻き込まれました。

松田末信さん:
「松田家の先祖が一家全滅して、7名亡くなっているような形跡があるので」


土石流災害の犠牲者を供養するため、地区の人々は約160年前から観音様を祀るお堂にまんじゅうなどを供え、法要を営み続けています。

住民:
「やっぱり一年に一回ですからね今は。やはりしとかなければ、代々続くものですので」

江戸時代、山川河内を襲った土石流とはどのような災害だったのか。当時、長崎奉行所に届けられた報告書が残っていました。

学芸員:
「人牛馬すなわち即死、けがなどあり、即死ですね。」
当時、長さ300メートルにわたって崩れ落ちた土砂が家々を押し流し、33人の命を奪いました。

そして、江戸時代の災害から122年後の1982年7月23日、299人が犠牲となった長崎大水害が発生します。
この時、山川河内も大きな被害を受けました。

住民:
「なんやこいはーってうちの畑が全部流れてたもんで」

山川河内では、土地や家屋に被害は出ましたが、死者やけが人は1人も出ませんでした。地区の長崎大水害記念碑の碑文には、「万延元年の水害の大試練を活かした賜」と刻まれています。

末永晋治自治会長:
「大雨の時にはもう自分の家は経験上危ないとか、自主避難をされた方が多かったからここ犠牲者が出なかったというふうになっています」

法要の後、お供えのまんじゅうが地区の人々に配られました。松田さんは自宅にまんじゅうを持ち帰り、土石流の犠牲となった先祖を祀る仏壇に供えました。

松田末信さん:
「お供えのおまんじゅうをいただきましたので、ご先祖はどうかいただいていただきますようよろしくお願いいたします。ナマンダブナマンダブ」

松田末信さん:
「地域の方々が皆協力しあって声かけあってですね、まず逃げるというかな、そういうのが一番大事かなというふうに思っています」

山川河内に伝わる「念仏講まんじゅう」。災害の記憶をつなぎ、いまを生きる住民の防災意識を高める風習として、脈々と続いています。
災害の教訓は、山川河内地区のように風習として受け継がれている地域もあれば、慰霊碑や伝承碑という形で伝えられている地域もあります。こうした地域に残る災害の記憶を学び、日頃からの備えにつなげることが重要です。














