"あの時のめぐみさんの笑顔は、今でも忘れることはありません"
平壌の招待所で生活し始めて数日後、組織の幹部らしい人が来て「今日から別の招待所に移る」と言われ、慌ただしく引っ越すことになりました。
招待所に着くと1人の女の子がいました。彼女は笑顔で私を迎えてくれました。
その女の子は、横田めぐみさんでした。
ちょうど私の妹と同じくらいの年でした。だからなのか、それともずっと1人ぼっちだったせいなのか、彼女とはすぐに仲良くなりました。私といる時はいつもニコニコとあの可愛らしいえくぼを見せていました。
彼女との8か月の生活はそれなりに大変でしたが、それまでの孤独な生活を思えば、嫌なことを考える時間がなくなっただけでも大違いでした。
めぐみさんと2人っきりの時や夜寝静まった時など、本当に本当に小さな声で誰にも気づかれないよう注意しながら日本語で話をしました。家族のこと、友達のこと、学校のこと。また外に出る機会がある時は、ちょっと離れた場所に行って日本の歌などをこっそり歌ったりもしました。
指導員に見つかれば大目玉を食らうことは分かっていましたが、やっぱり2人とも日本が恋しかったのです。
とにかく日本に帰りたかった。毎日毎日、どうしたら日本に帰れるか、なんとかして帰れないかと考えてばかりいました。
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