"指導員に聞きました。『母はどこにいますか』と"

拉致被害者 曽我ひとみさん(2026年7月3日・札幌市西区)

船を下りると車が待っていました。車の中にはとても偉そうな感じの男性が乗っていました。多分、工作員の責任者といった立場だったのではないかと思います。

その人の話では、これから列車で平壌というところに行くとのことでした。通訳を介して、私は思い切ってこの男性に聞きました。「母はどこにいますか」と。

するとこの男性は「お母さんは日本で元気に暮らしているから心配しなくてもいい」と言いました。この答えに納得したわけではなかったのですが、男性のこれ以上何も言うんじゃないという威圧感に、それ以上母のことを尋ねることはできませんでした。

途中、知らないところで一泊し、翌日の夕方駅に着き、列車に乗り込みました。列車に揺られ平壌に着いたのは15日の早朝でした。そこから招待所まで連れて行かれました。

招待所に着く前までは、本当に北朝鮮というところなんだろうかと半信半疑だったのですが、招待所の中に入って壁にかかっている2人の肖像画を見た途端、異国であることを確信しました。

この時から日本語を話すおばさんとの生活が始まりました。この女性は後に国際指名手配されたキムヨンスという工作員です。拉致を実行した犯人と私が結婚するまで一緒に暮らしていたのです。今考えてもおかしな環境にいたものです。