■10回以上のロックダウン…ゼロコロナ政策に翻弄された国境の街

約3年に及んだ中国のゼロコロナ政策に、最も翻弄されたといわれる街がある。

ミャンマーと国境を接する南部・雲南省の瑞麗。

松井智史記者「こちら税関の向こう側すぐそこにミャンマーが見えます。ミャンマーの人たちがこちらを見ているのが分かります。向こう側は車の通りが非常に多いですね。中国側とは非常に対照的です」

ゼロコロナ政策が緩和されて以降、この街も感染拡大の波に襲われた。ドラッグストアを訪ねると・・・

ドラッグストア店員「コロナに罹って治ったばかりです。身近にはいませんでしたが、亡くなった人は多いと聞きます」

12月下旬、瑞麗で撮影したとされる映像には、病院がいっぱいになったためか、外に停めた車で点滴を打つ人たちの姿もある。

実は瑞麗市は、3年間で10回以上のロックダウンがあった。中国でも最も厳しい措置により、地元経済は大きな打撃を受けた。

ヒスイなどの宝石が有名な街は、今も多くの店が閉まったままだ。

宝石店の店長「昔は賑やかだったんだよ。以前のように戻れるか、分からないね」

松井記者「こちらはコロナが感染が拡大する前はミャンマーと中国の交易で栄えた場所なのですが、ゴーストタウンのような雰囲気が漂っています」「いま周辺を歩いているのですが、全然人がいないです。びっくりです」

瑞麗でロックダウンが繰り返されたのは、なぜなのか?

そのきっかけが、2021年にミャンマーで起きたクーデターだ。地元の人によると、当時、市内に難民が増え、そこからコロナの感染が広がったのだという。2か月後、市のトップは感染拡大の責任を問われ更迭。その後、幹部たちは責任回避のためロックダウンを頻繁に繰り返してきたとも指摘される。

建材業を営む中国人男性「売上げは基本ゼロ、赤字だったよ。経営が立ち行かない、ロックダウンはもう嫌だ。そんな理由で、みんな出て行ったよ」

瑞麗を去った人は20万人とも言われ、人口の半数以上が流出したことになる。

政府にとって不都合な取材をされるのを警戒しているのだろうか。取材中、私たちにも監視の目がついた。

松井記者「現在2台ほど、おそらく公安関係者ではないかとみられるのですが、車の後ろをつけられています」

中国でのゼロコロナ政策が終了した1月8日には、ミャンマーへの人や貨物の通関が再開した。

松井記者「いま、中国側からミャンマーの方へと向かって行く人たちが税関の中に入っていきました。荷物を持っています。人の往来が再開されることになりました」

約1000日ぶりの光景に、門の前では…

松井記者「インフルエンサーたちがライブ配信をしていますね。オープンした税関を見ようと多くの人たちが集まってきています」

観光客向けの土産物店なども、徐々に店を開け始めている。

土産物店の店員「国境を行き来できるようになったので、中国各地から遊びに来てくれるのを楽しみにしています」

ゼロコロナ政策に翻弄された、国境の街。本来の賑わいを取り戻すまでには、まだかなりの時間がかかるとみられる。