「あれはスパイだよ」沖縄でも広がる防諜思想

1942年7月には2回目の防諜週間。「戦時国民防諜強化運動」と銘打って、全国一斉に展開した。新聞には連日、「スパイ」「防諜」「秘密戦」の文字があふれた。

沖縄にも防諜思想が浸透していった。

新聞の「防諜座談会」では、「本県は種々のデマが伝播する点、他県より多い」と、全く根拠のない話を印象付けた上で、「秘密を知りたがらない、知ってもしゃべらない、流言飛語を飛ばさない」といった内容が話された。

沖縄戦に動員された元学徒、瀬名波榮喜さんが当時の空気を語った。

瀬名波榮喜さん
「憲兵や高等警察ができて、一般の人々もビクビクしていた。疑心暗鬼。知らない人が来ると、こいつスパイじゃないのかなと思う。手品のグループが田舎に来た。『あれはスパイだよ』という話が出た。風変りなことをすると、『これはスパイじゃないか』と思われてしまう」

友人との会話で、自らも洗脳されていたことを思い出す。

瀬名波榮喜さん
「日本勝てると思うか、負けると思うかと質問を彼から受けた。『もちろん勝つよ』と私は言った。彼は『僕は負けると思う』と言った。『あんたそんなこと言ったらスパイ扱いされて大変なことになるよ』と。(スパイと)非国民という言葉とは、同義語に使われていた」

その沖縄への軍隊の配備は、差別意識を前提に始まっていた。

陸軍の秘密文書をつづった「密大日記」。この中に、沖縄戦の10年以上前に記された沖縄防備対策がある。

住民について、「依頼心が甚だしく強く、惰弱で、団結、犠牲の美風に乏しい」などと断じている。だが、少数軍隊を補うため、その住民を戦力化することを計画した。

第32軍は部隊が配備されると、民家を兵舎として利用し、住民を陣地づくりなどに動員した。

沖縄国際大学名誉教授 石原昌家さん
「第32軍の部隊がどどっと各家々に配備される状態になって、戦場の村になっていく。いきなり信用していない沖縄の一般住民家庭が軍事要塞化する形になる。部隊の動きは、最高の軍事機密なんですね。住民が兵士同様に一体となって(軍事機密を)知ってしまう。そこから沖縄戦というのは始まっていく」

その矛盾は極まる一方だった。

着任した牛島司令官の訓示は、「地方官民が喜んで軍の作戦に寄与するよう指導すべし」とする一方で、「防諜への注意」を強調していた。

そして、主力部隊の通達で、「沖縄は『デマ』が多い土地で、軍機保護法による特殊地域に指定されている、防諜上きわめて警戒を要する地域」と断じた。

沖縄国際大学名誉教授 石原昌家さん
「第32軍の展開地域は全部、軍機保護法の特殊指定地域だと。その中における日本軍の虐殺事件というのは、軍機保護法に則った行為として全然反省しない、と開き直っているわけです」

さらに、この秘密戦に関する書類には、「国頭支隊」という北部の部隊が、住民を防諜に利用した痕跡が残っている。

地域の有力者を使って極秘の組織「国士隊」を結成、一般民衆への「防諜の指導」や「監視の役割」を負わせ、反軍、反体制的な人物はいないか、など報告を命じ、密告社会を作り上げていた。