「スパイ」を生んだ国民総監視の空気
帝国議会での法案の議論では、スパイ、外国人の言葉が飛び交った。

貴族院軍機保護法改正法律案特別委員会 (1937年3月3日)
「数年の後には『オリンピック』も東京に開催せられるような状況でありますから、大勢の外国人が参りましょうし、スパイ行為をするというような者も考えられますから」
山梨学院大学名誉教授 我部政男さん
「外国人は、日本の利益を損なう集団として、日本人が即座に理解できる領域なんですね。外国人が本当にスパイであるかどうかは関係ないんですよ。法律が必要だということを国民に知らせるためには、餌をあげないといかん。この餌になるようなものが外国人に対する差別意識なんですね」
議論は、日本人同士の監視に及んだ。

衆議院防空法案委員会(1937年3月28日)
「国民全部を挙げて『スパイ』の逮捕、密告に就くべきものではないか。密告し、通知をいたした場合、表彰するか、賞品を呈するとか、国家が奨励いたして、国民全部を挙げてこれを防ぐ、という態度に出る意思はないか」

山梨学院大学名誉教授 我部政男さん
「そういう雰囲気を作る。ここの中にスパイがいる、彼かもしれないというような疑心暗鬼という状況は人間社会の中でコントロールしやすい。そういう状況を作ることが機密保護法の重要なテーマであって。それは一つの統治の方針なんですよ。それはムードだから、雰囲気作りだから」

映画「武器なき敵」(1940年製作)
「我が国に向けられたスパイの目は、スパイの耳は、スパイの手は。軍事上の秘密が彼らスパイの手に渡った場合、国家の被る損害は、その犯人を処罰することによって、決して償いうるものではありません」

開戦の年には、「国防保安法」が成立した。軍事だけでなく外交、経済など、国家機密全般に対象を広げ、軍機保護法とともに、情報統制の両輪となった。
時を合わせ、政府の広報誌は、「秘密戦と防諜」と題して特集を組んだ。

スパイを防止し、秘密を守る「防諜」。「一人一人が防諜戦士」を合言葉に、外国依存や欧米崇拝から脱却すること、最大の弱点は防諜観念が希薄であることなどを挙げながら、防諜とは「真の日本人になること」と結んだ。
そして、太平洋戦争に突入した。














