1890年に発布された、教育勅語。天皇の絶対的地位と、国民の役割を定めていました。

――教育勅語の一節
「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、もって天壌無窮の皇運を扶翼すべし…」

子どもたちは「国のために身を捧げよ」と教育された

普通教育は少なく、軍への協力ばかりに

国民に対し、国の非常時には、勇気を奮って身を捧げ、皇室国家のために尽くすことを求める教育が、当時徹底されていました。入学後、英語や物理など普通科目を勉強できたのは、わずか4か月。

そのあとは、飛行場建設や壕掘りといった陣地構築、軍事教練が増え、学び舎は日本軍が接収。瀬名波さんの青春は、戦争に絡めとられていきました。

「肉迫特別攻撃隊、と名前を付けた。背中に爆弾を抱えて、敵の戦車に潜り込んでいって、そこで戦車を、自分ももちろん犠牲にして突っ込んでいくと」

学校跡に立つ瀬名波栄喜さん

「肉迫特別攻撃隊を農林(学校)が編成したということを聞けば、他の中等学校も刺激されて次々と立ち上がるであろう、と」