55年前にたかさんに出会っていた沢知恵さん

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協力を頼まれた歌手・沢知恵さんは、ハンセン病療養所の音楽文化研究で岡山大学大学院を修了した研究者でもあります。

1971年 父・正彦さんと沢さん(生後6か月) 【写真を見る】
1976年 中央手前が沢さん(4) 中央後ろが東條高さん(45) 【写真を見る】

そのきっかけは、生後6か月のとき訪れた大島。以来、島に深く関わってきました。

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(沢知恵さん)
「95歳ですよね。すごいことだと思うんですよ。耳はすごく遠くなってるし、体力もご覧のとおり、もう立つこともできない。あんなにコンサートで立つことにこだわってた人が、立てないんですよね。それでも歌いたい。それでもCD作りたい。なんか切実な思いを受け取らざるをえなかったんですよね」

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(東條高さん)
「無口やけん、そんなんしたことないわ。その女の子ひとりだけや。話できたんは」

録音の合間に、沢さんも初めて聞く話が飛び出しました。

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(東條高さん)
「空襲があったやろ。また、ここで来て会おうやなと言ったんよ」

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(沢知恵さん)
「で、たかさんはここ(療養所に)来た。彼女は知らないで手紙を出した。(たかさんの)お母さんは『もう高は空襲で死んだ』って言ったんだ」
「名前覚えてる?」
(東條高さん)
「あきこさん、言うたな」
(東條さんは苗字も覚えていた)

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(沢知恵さん)
「85年前よ、あなた」

(♪“青松園々歌”)
「たのし われらの 青松園」

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(沢知恵さん)
「伸ばさない」
(東條高さん)
「♪潮とみつる」

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(沢知恵さん)
「今、下がりすぎ」
(東條高さん)
「下がりすぎとった?」

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(沢知恵さん)
「ぶら下がってる」(笑)

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録音は時間との闘いでした。たかさんの体力を考え、週2日を4週間。日数にして8日間で納得できる歌を録り切る計画です。

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何度も何度も、音程や表現を修正しながら1小節ずつ収録していきました。