子を連れて乗った船で死を覚悟

「甲板にいてね、わったー(私たちの)船は真ん中。あれ(対馬丸)は大きい船だから右側にいたけど、沈む。怖かった…うちたちも、もう沈むんだなあと思った。それが怖かったのよね」

対馬丸が撃沈されておよそ2日後、芳子さんを乗せた暁空丸は、夫の待つ熊本県天草に着きました。そして、夫が暮らす福岡県八幡での暮らしが始まります。

「中城の人たちもいたし。楽しかったよお正月なんか。中城の人たちはみんな三線ができるさ。楽しかったよ」

多くの県出身者に囲まれ過ごした疎開生活でも、戦火にさらされました。八幡の街を襲ったのは、空襲。芳子さんは、長女をおぶって防空壕に逃げ込みました。

「防空壕の中で朝鮮人はみんな「アイゴー(嘆き悲しむ意)」って泣きよったの。防空壕の中で爆風があれしてからみんな倒された。倒されたの爆風で」

芳子さんと暮らす孫の亮太さん

私たちがインタビューをする横で、孫の亮太さんはその話を真剣に聞いていました。

孫・亮太さん(36)
「ばあちゃんが経験してきたこととか、歴史とか、自分の家系を知りたいという延長線上で、戦争の話に興味をもった」