ジャーナリストが持つ数々の“魔法の杖”
はじめに日本国憲法の条文を紹介しておこう。すべてのジャーナリズム活動の起点は、この1行にあるからだ。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
ちなみに、続く第2項では「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と、検閲や盗聴を憲法レベルで禁止しており、本則の第1項で但書による例外を設けていないことと合わせ、世界の中で稀にみる「絶対的な表現の自由保障」をしている国である(注1)。
これは大日本帝国憲法時代に、表現の自由は現在同様に保障していたものの、「法律の範囲内」という但書による制限(注2)を設けたばかりに、治安維持法はじめ数々の戦時立法によって例外が設けられ、結果的に「原則と例外の逆転」が起きてしまい、表現の自由が広範に制限を受けてしまった苦々しい経験を踏まえての法のつくりである。
ちなみに多くの国では、こうした例外措置が当たり前であって、宗教国家では例えばイスラム教国家であればアラーや預言者ムハンマドを侮辱する行為は表現ではなく国家転覆行為とみなされるし、社会主義国家であればその支配政党を批判・否定する行為は表現ではなく暴力行為として決して認められないことになっている。
欧州各国における「闘う民主主義思想」として知られるネオナチ思想や言動を排除することも、それら行為が民主主義社会を破壊するものであるとして表現の自由の枠外におくことにしたもので、憲法保障の対象外だ。
その意味で日本におけるこの例外なき絶対的な言論の自由の保障自体が、強力な“魔法の杖(magic wand)”であることに違いないが、それ以外にも日本の場合は、数々のジャーナリズムを支える法制度を準備してきた。
一般には「特恵的待遇」と呼ばれるものであるが、こうしたある種の特別扱いは、単純に報道機関や記者を優遇するということではなく、あくまでも言論公共空間に適切な情報を提供し民主主義社会を維持・発展させるためのものであることはいうまでもない。いま風にいえば、私たちの「知る権利」に応え、市民に豊かな知識・情報を伝えるための工夫であるわけだ。
(注1)表現の自由条項以外に関連して、思想良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、学問の自由(23条)を定める。
(注2)大日本帝国憲法29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス














