二つの絵図から築造時期を推測
さて次は小天守。できた時期について、ポイントは二つの絵図にあります。
清正が亡くなった翌年の1612年、熊本の様子を探りにきて毛利藩の密偵が描いた熊本城の絵には、大天守がありますが、隣に小天守はありません。その後、1630年の絵図には、大天守の隣に小天守の石垣が築かれています。
このことから小天守は清正の死後、加藤家が改易される1632年まで、息子である忠広の時代に造られたと考えられています。
天守の築造だけをとっても、古文書や絵図といった「一次史料」が、いかに重要な「歴史の証人」であるかを示しています。
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